標高500m。眼下に吉野川が流れる地で
|
|
![]() 小笠原啓哲さん |
ぎんなんの生産者の小笠原啓哲さんは73歳です。お住まいは高知県と徳島県の県境の大豊町で、お隣はかずら橋で有名な徳島県の祖谷(いや)谷。周辺には平家の落人(おちうど)伝説のある集落が点在し、歴史と独特の文化が残っていますが、たいへんな過疎に晒されている地域でもあります。小笠原さんのイチョウ園は標高約500mの傾斜地にあり、眼下はるかに吉野川が流れています。農薬の飛散などの心配がなく、自然豊かで空気も水もたいへんきれいな地です。
![]() 選別機 |
小笠原さんは30歳から農業を始められました。1982年、当時は栗畑であった60アールの畑をイチョウ園にきり変えて1987年頃より収穫を始められました。現在の総収穫量は約2000kg。剥離法という県の農業技術センターが指導していた方法により、普通は収穫までに10年かかるところを5年で収穫できるようになったとのことです。これは、根元付近の幹の周囲の皮をはいで、その皮を逆さにして元あった幹に貼り付ける方法で、イチョウにストレスを与えることで生命力を引き出し、木の生育が早くなるのだそうです。
![]() 木をゆすってぎんなんを 落とす機械 |
作業は厳冬の1・2月に施肥と剪定を行います。6月ごろから下草刈りを適宜行って収穫期を迎えます。収穫は実が色付いたら、園にシートを引いてイチョウの木をゆすって実を落とします。収穫したイチョウの実を2日ほど水につけて皮を柔らかくしてから、皮をむき、3日ほど陰干しさせるとぎんなんのでき上がりです。小笠原さんは発明家で、木を振動させる機械を自作されて、それで収穫しています。他にも皮をむく機械も自作、そして皮をむいて乾燥させる作業場から選別場までは自作の索道(ロープウェイ)で結び、ぎんなんの選別機も自作です。できるだけ作業を省力化、負担軽減して収穫から製品に仕上げます。これらの自作の機械は全て、他用途のための機械を工夫して転用・改造しています。
市場に出回っているぎんなんは、化学肥料を使って実を大きくするのが一般的ですが、小笠原さんは有機肥料のみ。1年に2トンほど収穫するぎんなんを選別し、良い実だけをより分けて出荷してもらっています。この点は手を抜かず、手間をかけるのが小笠原さんのこだわりです。
イチョウの木は1000年以上も生きるほど、生命力豊かな樹木。そしてぎんなんは脂質、糖質、たんぱく質、ビタミンA・B 群、ビタミンC、鉄分、カリウムなどをたっぷり含みます。“やっぱり、ぎんなんは炒って殻をむいて食べるのが一番おいしい”と小笠原さん。お召し上がりください。
(高生連 田中正晴)
ミネラルが豊富です。いろんな料理に |
|||||
![]() |
|||||
|
![]() |
高生連(高知県南国市) 地域の宝“棚田”を守っていくために |
“ 無農薬で大根を作ったんだけど、おたくへ出せないか?”
高知市内で「土と生命を守る会」という産直の会をやっていた頃、生産農家からこのような相談をよく受けるようになりました。ただ、当時の販売先は500世帯ほど。農産物の生産力がとても高い高知で有機農業を広げていくには、県外にも販売していくことが不可欠との思いに至り、1989年に高知県生産者連合が誕生。それが現在の高生連の母体となりました。以来、高知の生産者と消費地とのパイプ役を果たしてきましたが、25年一日のごとく“余るか足りないか”しかない農産物に右往左往しながら現在に至っています。
![]() |
南国市の隣、土佐町には、山また山の地形を生かした棚田のお米が稔り、当初より20数件の農家さんに無農薬・省農薬で栽培してもらっています。「棚田の米粉」は2009年の秋、この町に米粉工場ができたのをキッカケに“この米を、米粉にもしていこう”と思い立ちスタートしました。粒食(ごはん)としての消費が頭打ちの時代、微細粉にした米粉の用途は広いので“粉食”として米の消費が拡大すれば、その分、この山間部の農村も少しは活気づくだろうと考えたからです。
![]() |
自慢は味の良さと、使い勝手の良さにあります。一度、小麦粉を棚田の米粉に換えてみてください。きっと“なんだ、意外に簡単に使えて美味しい”と感じていただけると思います。小麦アレルギーの方にもうってつけですし、お米の消費が年々減っている今、輸入に頼りきっている小麦( 粉)の代わりに米粉を使えば、地域の宝ともいえる大切な田んぼを守っていくことにもつながります。
(高生連 松林)
![]() |