〈2023年 第134便-1 (2023.6.12)〉

土佐あかうしのルーツは朝鮮牛
その本との出会いは突然やって来た。4月9日に行われた能勢農場の株主総会で、旧知の農耕クラブの女性から「津田さんこんな本知ってる?」と声を掛けられた。彼女曰く、「たまたま図書館で借りて読んだのだけれど、農場のあかうしと繋がってるんじゃない」その時は「ハイ、ハイ」と適当に応えていたら、彼女は翌日ご丁寧に電話を掛けてきてくれた。「昨日の本の書名判ったので。『日本を生きた朝鮮牛の近代史』。著者は竹国友康さん」「エー」と絶句した。
こういう場合、直ぐに梅田の本屋の書棚を探しに行くのが僕の通常の行動パターンなのだけれど、コロナ禍で出不精が身に付いてしまったのか、食肉センターの事務担当職員にお願いして、ネット注文で取り寄せてもらった。ナンテコッタ……。
竹国さんのお名前は、能勢農場の古くからの株主として、そして友人たちの共通の大学時代の同志として知っていた。僕も同じ頃、同じキャンパスを走り回っていた部類なので、どこかで顔を合わせたことはあったに違いない。けれど、お顔は存じ上げない。でも、本を一気に読ませてもらって、こんなに素晴らしい出会いが嬉しくて、嬉しくて。すぐに便りを書いてしまっていた。
能勢農場が関西よつ葉連絡会の届ける牛肉素材となる肉牛肥育を始めて40年を超える。その牛種はスタートがホルスタイン種雌牛。次がF1(交雑)種雌牛。現在では、仔牛からの哺育一貫飼育を始めたことでF1種の雌、雄牛となっている。何故、牛種を変更してきたのかというと、①日本の畜産業界の構造変化、②一歩ずつよつ葉の畜産ビジョンに沿って、目指す畜産現場に近づけるため、の2点が挙げられる。酪農の乳用牛であるホルスタイン種の母牛は、乳しぼりのために出産を繰り返し、副生産物として、仔牛を生む。仔牛価格が出来るだけ高価となるように酪農家は黒毛和牛の精子を受精させてF1種を、今では黒毛和牛の受精卵を着床させて黒毛和種の仔牛を出産させることが、この40年ですっかり定着してしまった。
雌牛にこだわってきた理由は能勢農場の飼料が豆腐工場から届くオカラと粗飼料を中心として、出来る限り輸入穀物を減らすよう設計してきたので、雄牛では肉用として肥育するのが困難だったから。今では、畜産そのものが地球環境に負荷が大きすぎるとの批判まで受けている。現状の能勢農場の畜産自体が根底から揺らぎ始めているとの予感が、能勢農場、よつ葉を担う若手の中に拡がってきたのは無理からぬことだと言えよう。そんな中、能勢農場、よつ葉の牛肉素材となる牛種を、山地放牧で繁殖、母牛による仔牛の哺育が可能となる土佐あかうしに転換してはどうかという声が挙がり始めた。能勢農場が10年近くにわたって高知県と連携しつつ、試験的に2頭の母牛を導入し、繁殖、哺育を行う放牧場のシバ植えから続けてきたあかうし。より自然に、より環境負荷が少ない肉用牛として、放牧地を拡げ、連携する酪農家に母牛の預託を拡げ、よつ葉の牛肉需要に答えられる頭数拡大の実現に向けて、志を同じくする畜産現場が連携する“よつ葉の赤牛プロジェクト”が動き始めていた。
僕がこの本と出会ったのは、そんな時だった。竹国さんの調査によれば、明治から昭和初期にかけて、日本に移入された朝鮮牛はおよそ150万頭を数えるという。日本全国で農耕牛として農村での農業を支え、各地で和牛との交配が進んで、戦後「褐毛和種」として和牛の一品種となった。現在では熊本県(阿蘇あか牛)、高知県(土佐あかうし)の2県のみで約2万頭飼育されている。
この本を読むまで、自分たちが飼育頭数の拡大を進めようとしていたあかうしのルーツが朝鮮牛であったことを不覚にも全く知らなかった。そして、その日本への移入、交配が、深く日本帝国主義の朝鮮半島侵略、植民地支配と重なっていた歴史についても全く無知であった。自然の中で、より地域環境への負荷を少
なく、生物としての牛にとっても負担が小さな畜産を目指して巡り合った土佐あかうしの現在が、日本と朝鮮半島の、近くて遠い関係を繋ぐささやかな営みとしても位置付けられるのではないのか。そう考えたとき、竹国さんが著書の最後に記しておられた言葉が強く心に浮かんできた。
−今回、日朝の『あいだ』を生きた朝鮮牛の足跡をたどり、もの言わぬままこの地で生を終えた牛たちの声に耳を澄ませてみようと思ったのです…−
僕たちも又、あかうしの畜産現場を拡げていく中で朝鮮牛が生きてきた歴史を忘れずに、日朝のより善き関係づくりにわずかなりとも貢献できるよう心掛けていきたいと思っています。
(能勢食肉センター 津田 道夫)
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