集落の周りに広がる圃場に、ちらほら人の姿が戻ってきました。気の早い人はジャガイモの定植をされていました。また、ある畑では、立派に育ったキャベツや白菜の天辺から、トウ立ちのためきれいな黄色い花が咲き、蝶々が乱舞していました。出荷できなかったのか、食べきれなかったのかはわかりませんが、トラクターで鋤き込んで、次の栽培の為に片付けをされていました。白菜のトウ立ちした菜の花は大変美味しく、我が家でもおなか一杯いただきました。
広島県の世羅町から丹波市に会社を移して7年目となりました。最大の変化は、畑地から水田転作地での栽培です。集落に夫婦で村入りさせていただき、自治会に入り、農場としても集落の農会に所属しています。自治会、農会、環境保全会、集落営農、青年団等々。サラリーマンの家庭で育った私にとっては初めての体験です。人、集落と水田が強く繋がっていることを実感します。農地以外のため池、農道、水路、公民館、墓地、山林などの共有財産があり、一見生活道路でも市道ではなく農道であり、維持管理は集落の責任で行わなければいけません。
日役(奉仕活動)がたくさんあり、様々な仕事を集落の為に行います。集落の中では若手(48歳)で、農業をしていることもあり、力仕事や重機の操作などに駆り出されます。日役は奉仕活動以上に情報交換の場であり、お陰様で、短期間で集落内に6haの耕作地を斡旋していただきました。
また、こちらでの入植当時は、獣害に悩まされたのですが、約30か所に点在する農地全てに電気柵を設置することは無理とあきらめていました。同様に鹿に稲の頭を食べられ、収穫前に猪に踏み倒されるなどの被害が、集落内でも多発していました。何軒かのコメ農家さんに私も加わり、自治会の承認を得て、日役で協力していただき、国の補助金を活用して集落内の圃場全てに電気柵を設置しました。麦、大豆の栽培や牛飼いも、必ずこの集落で成功してほしいとよく言われます。大変好意をもって応援していただいています。集落外からも、麦畑の写真を撮りに来られたり、麦わら帽子や飾り用に分けてほしいと連絡もいただきます。集落のお世話になり、水田転作での農業に変わり、農業者と農家の違いを改めて気付かされる日々です。
穀類栽培に携わり14年目を迎えました。この間、3年間現場の責任者を経て、4年目から代表となりました。2毛作での麦と大豆栽培の難しさを思い知らされ、連作障害の問題、幾ら働いても作業が遅れ、いずれ機械は潰れることなど、頭では理解していました。しかし最近まで具体的にほとんど次への方針を立てきれず、結果として、問題を抱えながらの刹那的な対応になっていました。農場設立から現在に至るまでお世話になっているみなさんには、ご心配をかけ続けています。
ただ現在6haから、さらに3ha程農地の拡大が達成できれば、2毛作を完全に止めて、連作障害にも対応出来ると思います。単作に切り替えることで、適期播種、収穫を貫徹し、収穫量も以前より安定します。安定すれば、定期的な機械更新を行え、適期作業が遅れる事も減ります。日々の作業遅れに関しては、草刈り仕事がほぼ大半を占めるので、機械導入や、春日牧場の応援でやりきるしかありません。
昨年収穫した大麦は播種が遅れ、小麦に関しては一昨年に大豆の収穫の遅れから、播種自体を断念しました。ただ、次作の大豆に関しては、3ha分に麦を蒔かず、4月から荒起こしを始め、6月20日前後に播種が完了しました。気温が高く落葉が遅れ、収穫自体は1ヶ月程おくれましたが、5.7tの出荷となり、大豊作でした。
また、次作の麦は3ha分を休ませていたので、10月20日、2.3haに大麦の播種を完了し、11月10日、1haに小麦の播種を完了し、その後急いで大豆畑後を耕し、年内にさらに1.3haに小麦の播種を終えました。小麦の収穫は少し遅れるかもしれませんが、1.4ha弱を大豆用に休ませているので、今年の大豆播種も、1.4ha分は適期に出来ると思います。大麦の収穫が6月初旬なので、7月10日までにさらに1.6haに大豆を蒔く予定です。第一生産の現場では、よくあることですが、ほぼ全ての機械が、借り物や、中古で購入したもので、古い機械は更新の時期をとっくに過ぎています。
これまで、生産が不安定でしたが、早くこの状況から突破して、次へ行かなくてはいけません。多くの皆さんに支えられ、何とか、やってきました。本当にありがとうございます。昨年の大豆の大豊作を達成し、大麦、小麦も順調に育ってくれています。今年の麦収穫と大豆の播種、収穫も無事に成し遂げ、自信をもって来年には、報告させていただきます。気持ちは熱く、作業は淡々とやるべきことを確実にこなしていこうと思います。あと30年ぐらいは農業を続けて行きたいし、その間は、経験の蓄積と技術の向上の為に、必死で頑張ります。麦も大豆も栽培する人が増えて、未来に繋がるように。
(丹波協同農場 近藤亘)
関西よつ葉連絡会が、土曜日の配達を止めて週5配達に移行するのに合せて、豚の枝肉の脱骨研修を各所で働くよつ葉の職員に呼びかけた。もう10年以上前、食肉センターが脱骨作業を主に行う新加工場を増設した時、同様の研修を呼びかけた事があった。確か3年ほど続けたと記憶しているが、そのうち、配送業務が忙しくなって、誰も参加する人が居なくなって消滅してしまった。土曜日の配送業務がなくなるので、ひょっとしたら、1人や2人くらいは手を挙げてくれるかな、と考えていたら、何と15名の応募があってビックリ。作業場のスペースや、1人で教えれられる限度も考えて、1班4人で2班、8名で半年間、隔週交互に研修を行うことになってしまった。トホホ……。
入れなかった人達には半年待っていただくことをお願いし、2月13日からスタート。若くて背が高く、足のサイズがバカデカイ研修生ばかりで、白衣と作業用の長靴の調達が大変だったけれど、楽しく脱骨作業に取り組んでいる。とは言っても、骨を引きはがした後の肉は、ミンチ・切り落としにしか使えない。新品のさばき包丁が生きた仕事を進めてくれる日を切望する次第です。
食べ物は生き物から。そのシンプルだけれど大切な真理を、脱骨作業の中で実感してもらえればいいなと、土曜日にも能勢へ通っています。トホホ……。
(能勢食肉センター 津田 道夫)
脱骨研修の様子
(能勢食肉センター 井上高嘉)
忘れられないいちごと農場の思い出
能勢農場のいちご摘みは、子どもがよちよち歩きの頃から私が能勢産直センターに入社するまで、わが家の年中行事でした。ある年は母も一緒に、またある年には友人親子を誘って。農場の畑で摘んで食べるいちごは柔らかくジューシーで、お日様の光をたっぷり浴びて熟した、格別の甘さがあります。宝交早生という品種で、大阪万博の頃に市場に出ていましたが、果肉の柔らかさのため今の流通には向かないと聞きました。
ある年のいちご摘みで、あれは誰だったのだろう、農場の人から、いちごはランナーで苗を増やせるけれど、ここの株はいちご摘みの後、一部は牛のエサにして、残りは破棄すると聞きました。それなら株を分けてもらえるかと私が尋ねると、その人はいちごが終わる頃またいらっしゃいと言ってくれました。でも家に帰ってからは、その事でまた電話をかけたり出向くのもためらわれ、そのままになってしまいました。
ところが数週間後の配達の日、担当のサンボンさん(現・但馬産地直送センター代表)が商品を降ろした後、土のついた立派ないちごの株を渡してくれました。びっくりする私に、サンボンさんは「農場から頼まれて」と。続いて次の週、荷物を下ろしたサンボンさんはさらに、「ランナーは一番先っぽではなく、中の方のを使ったほうがいいそうです。農場の者が言うてました」と、託された植え付けのアドバイスを律儀に伝えてくれました。
立ち話で一会員が口走ったことを忘れず、届けるよう手配してくれるなんて、私は農場のいちごの株が手に入ったことより、そのことに感動してしまいました。
農場と産直センターは、同じ能勢でも離れた場所にあります。また今になってわかることですが、毎日80~90軒配達する中で、一会員に商品以外の物を届けるのは面倒なものです。この出来事は、会員として、次に職員としてよつ葉に関わってきた23年間の中で、忘れることのできない私のよつ葉の思い出です。
(能勢産直センター 佐々木千鶴)
Copyright © 関西よつ葉連絡会 2005 All Rights Reserved.