新型コロナウイルスの感染拡大が顕著となった3月以降、自宅で本を読む時間がめっきり増えた。それまでは、月に1~2回、大阪市内の大型書店に行って、書棚の本を物色して廻るのが楽しみだったけれど、マスクが嫌いなもので、これまで買って読んで、自宅の本棚におさまっていた本を引っぱり出して、もっぱら読んでいる。思考が偏っているから、同じ著者のほんが何冊もあって、改めて、それらをまとめて通読すると新たな発見があり、刺激を受けて楽しい。こんな時間は、これまでの人生にはなかったように思う。まぁ、それだけ年を重ねてしまったということかもしれないけれど…。
そんな中で、物理学者の佐藤文隆氏の著書も何冊か買っていたので、改めて読み直すことになった。初めて、氏の文章に接したのは、たしか「現代思想」に彼が連載していた「科学者の散歩道」というエッセイ風の文章だったように記憶している。その後「科学と人間」(2013年7月刊)、「科学者には世界がこう見える」(2014年12月刊)「量子力学は世界を記述できるか」(2011年6月刊)「科学者、あたりまえを疑う」(2015年12月刊)と書店で目にして、つい買ってしまった。どの本も、読解力に乏しい僕には難解なものだけど、超一流の物理学者が、自然科学を人間社会の中に置いて批判的に論じている姿勢に惹かれたように思う。
新型コロナウイルスの世界的感染拡大状況の中で、改めて佐藤文隆氏の自然科学と社会の相互関係を歴史的に把える書籍を読み直してみて、「科学的」という言葉の危うさについて考えさせられた。この3カ月、マスコミ報道や政府の発する言葉の中に「科学的」という文字がどれほどあふれ返って来たか。どれもが、その言葉を絶対的な真理であるかのように装って、案外、使う人間の立場や主張を正当化する為に使われている。政府がコロナ対策の諮問を行う専門家委員会での論議ですら、議事録もつくらず、論議の過程を公開することもないまま、「科学的」という枕詞をつけるために政治利用されて来たように僕には思える。
厚生労働省で今回の新型コロナ対策に当たっている所管部署は結核感染症課だと何かで読んだ。名称の頭に「結核」と付いているとおり、戦前からの結核感染症対策を主要業務としてきた官僚組織が、結核患者の激減状況の中で、しぶとく生き残って来た印象が強い。その下に国立感染症研究所、各道府県にある保健所・地方衛生研究所がつらなっている。国家の感染症対策の中核を担うこれらの組織の主要ポストには医師免許を持った医系技官がつくという。彼らは官僚であると同時に科学を学び、科学を担う人たちでもあるはずだ。
今回のコロナ禍の中で、感染者を特定するPCR検査が、日本で際立って少ないことが問題となって来た。その原因について、さまざまな理由がマスコミで報じられていたが、僕の考えでは、科学者であるはずのこうした官僚が指揮する有能な日本の行政組織が、なんのことはない自分たちの組織防衛を第一義として対応して来た姿勢が最大の原因であったと思う。職業人としての科学者の堕落。金儲けや政治権力の下僕と成り下がった科学。佐藤文隆氏は、そうした現代科学の現状を、科学教育の体制変化、科学研究の今日状況、技術化され社会インフラとして人々の日常生活を支えている科学と社会という視点から、歴史的に把えることが必要だと主張している。たしかに19世紀以降、ヨーロッパに始まる産業革命、資本主義の発展を牽引して来た自然科学の輝きは昨今、見る影もない。けれど、それは人間社会全体が科学の恩恵を受けて、わずかにではあれ前進した結果でもあるわけで、嘆いているだけではなく、科学知を、社会全体のより善き発展につなげていく為に、科学者一人一人が、自らが立つ現場で、科学と人間社会の未来を更に模索すべき時代なのだと彼は語る。
それは「民主主義」という政治システムに関して、政治学者、福田歓一の主張と重なり合っているようだ。福田歓一という学者の存在を初めて知ったのも佐藤氏の著作を通してであった。物理学者、湯川秀樹が、たまたま講演会で同席した福田歓一の「民主主義論」を聞いて驚愕し、その民主主義論に聞き入ったという逸話を読んで、僕もまた、ずいぶん時代を後れて氏の著書を読むこととなった。
「民主主義はいわば歴史の中の民衆が政治の魔性に挑戦する試みであって、したがって大きな危機を伴ってきたし、また伴いつづけるであろう。それはさしあたって、政治の能率をも、経済の繁栄をも、絢爛たる文化をも、まして人間の幸福をも、何ら先験的に保障しているわけでもなく、しかも疑いなく人間にとってもっともわずらわしい政治様式である。
ただそれは確かに人間の自由と尊厳とにふさわしい政治様式であるというにすぎない。したがって、この危険な政治様式を生かす者はそのシンボルに仕える者ではなくて、これを方法化し得る者をおいてはないであろう。いかなる拘束からの解放も、自己解放無くしては本来あり得ないからである」(「デモクラシーと国民国家」福田歓一著)
この福田歓一の言葉を佐藤氏は自らが立つ科学の領域での現状認識に重ね合わせているのだと思う。
新型コロナウイルスの感染拡大によって、非常にクリアに可視化された世界の貧困、差別、非人間的経済システムを変えるのはウィルスではない。初夏の風が吹き渡り、能勢の田んぼで早苗が揺れる自然には今年も何の変化も見られない。人間社会が生み出した人間社会の現実を変えうるのは、人間一人一人の生き方、考え方の変化と、その集積による他はないのだから。
(能勢食肉センター・津田道夫)
「林間学校」・「能勢農場 夏まつり」
開催中止のお知らせ
もうひと頑張り!!
新型コロナウイルスの脅威は、山の中の小さなハム工場にも容赦なく襲いかかりました。ただし感染者が発生したり、マスクがなくて営業が著しく阻害された訳ではなく、ご心配は無用なのですが、注文数が爆発的に伸び、それに応えるため必死の日々が続きました。
新型コロナウイルスの影響でよつ葉全体の売上げが伸びているとの報告は受けていましたので、注意深く毎日の数字は見ていましたが、なかなかその兆候は見られず、堅実さをモットーにその売上げを積み重ねてきたハム工場はコロナさえにも微動だにしないと、事態を冷静に受け止めていました。
ところが3月に入り一斉休校が始まった頃より状況は一変し、よつ葉のカタログ「ライフ」トップページにおいて毎週特集が組まれたかのような注文数になりました。大変です。ついに来ました。しかしその数字に眼をくらませながらも、数字の向こう側の様子を思い、決して喜ばしい状況での注文ではないことと知りつつも、多くの会員さんに食べてもらえる機会を逃すことは許されません。
何よりもこんな時期に「能勢の里から」ハム工場を選んでいただけたことに応えるためにも、もうひと頑張りです。
(能勢の里ハム工場 佐藤 雄一)
コロナ緊急事態を経て
(美味肉家能勢・竹中一裕)
春の農繁期を迎えて
毎年5月から6月は、キヌサヤ、スナップエンドウ、実エンドウ、ソラマメの豆大福4兄弟と呼んでいる収穫に励んでいます。
豆類は鮮度が命! 早朝の収穫、その日のうちの出荷を守っています。優しい豆類の甘みを食卓へ届けたいとチョキ、チョキはさみで収穫です。
キヌサヤは50gで実エンドウは300gと、それぞれ違う数量で袋詰めするのですが、どちらも一袋作るのに約30から40個必要とします。従って100袋作るのに3000回以上チョキ・チョキとハサミを握っていることになります。スムーズにスパッと切れるように豆類の収穫の始まる時期に毎年新しいハサミをおろします。作業効率がぜーんぜん違います。
それらの収穫時期は本当に旬の野菜を、今だけのおいしさをお届けできているなぁと感じ、集中する早朝の3時間です。
4時半ごろに食べた軽い朝食では、もうお腹がすいてくる9時前。能勢農場と打ち合わせをしながらいただく2回目の朝食も、12時にはすっかり消化されて昼食に望めます。
春から初夏にかけては、日に日に忙しくなっていく畑仕事に焦りを感じながら、優先順位を決めて皆で作業の割り振りをします。きゅうりやトマトの定植、芽掻き誘引。稲作の苗作りから田植えもウエイトの大きい仕事です。
その間にゾンビのように何度も何度も(刈っても、刈っても)甦ってくる雑草と闘いながら、ジワジワ上がってくる気温に体が慣らされていくのかもしれません。
4月は全般的に低温で、植え付けた野菜の生育が進まず、その防寒と害虫除けに不織布でキャベツにトンネルをかけました。
6月になって収穫を始めようとすると、虫除けでかけた不織布に空いた穴から侵入した蝶が産卵し、羽化までしてしまい、トンネルの中はモンシロチョウの団体様で、すごいことになっていましたので、慌ててトンネルを剥がしました。解き放たれた蝶たちは優雅にひらひらと舞い踊っていました。
5月後半から6月は急に気温が上がり、朝と昼の寒暖差が激しく、トウ立ち(抽苔)になってしまう野菜も多くなってきました。
毎年、野菜を栽培していても本当に難しいなと痛感しながら、遅れ遅れになっている作業に全力注いでいます。
(北摂協同農場・安原貴美代)
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