能勢町では田植えも終わり、あちらこちらでカエルの鳴き声が聞こえています。山の中にある能勢町でも朝晩はまだ冷えますが日中は作業をしていると汗をかくようになりました。農場の隣にある放牧場では芝が青く、そして大きくなってきています。
そんな放牧場では毎日3頭のあか牛が日中のんびりと過ごしています。さつき、みはる、昨年農場で産まれたゆずきです。広々とした放牧場で3頭が芝を食べ、座って休憩している光景を見ているとまだ何頭か入れられるのではないかと思ってしまいますがこれが限界です。
そして、今さつきとみはるのお腹には生命が宿っています。事業として繁殖・放牧をスタートさせて6年目を迎え、これまで4頭を出産して、うち3頭が雄、1頭が雌でした。雄は高知に返す形で高知の市場に出荷し、雌は新たな繁殖牛として農場で母牛と一緒に放牧しています。
では今後、産まれた牛たちはどうするのか? 高知県での預託を考えています。話が前後しますが、能勢で育てているF1の元になる母牛は酪農の現場と関わっています。その酪農の現場は離農などにより北海道を除き減ってきています。
仔牛の市場価格が高止まりで推移しているのはF1が少ないということであり、この先もつづくであろう。農場では長野県の農家や丹波市の農家から導入していますが、高齢化による離農は避けがたく、F1の確保はしにくくなっていくであろうと思われます。
では、農場で事業として進めてきた繁殖・放牧を拡大すればと思うのですが、放牧場の確保はそんな簡単に進むわけではありません。ですが、繁殖・放牧事業は高知県や高知の農家を含めさまざまな人たちから協力してもらい、少しずつ信頼してもらえるような関係を築いてきています。そういった関係をこらからも広げていくことの方が農場の繁殖・放牧事業としてはよいのではないかと思います。
農場で哺育事業を始め、牛を育てることへの技術など特化して事業を進めてきて、そのことに対してどこまで技術を追い求めるのかという矛盾も一方でかかえています。
種付けの技術はまだ蓄積していく面はあるものの、農場が畜産の現場として問題提起して、実際に現場でやってきたことや農場そのものの存在はさまざまなところからの協力や信頼の上でなりたってきており、新たに高知県との関係を広げていくことは、この先何年かかるかわかりませんが協力や信頼してもらえる関係を作っていきたいと思います。
最後に前号でモンブラン広場復活進行中と掲載しました。今も進行中ではありますが義捐金など今でも農場に協力してくれている方々がいて、近々ピザ釜を手伝ってもらって作る予定をしています。それ以外にもまた大雨や台風などで倒れそうな木を忙しい中、月に一度処理しにきてくれる方もいます。
さまざまところからの協力に感謝しています。
(能勢農場 道下 慎一)
(能勢農場 中原 恵一)
長年にわたるよつ葉での日々の思いの丈を書いていただけたら良いと思います。との原稿依頼をいただきました。
簡単に言ってくれるなぁ~。と思いつつ40数年を振り返ってみることにした。
「流れに逆らって」を再度読み返して、記憶のアヤフヤの部分を助けてもらうことにした。思いの外記憶がアヤフヤでナカナカ筆が進まず苦労しながら久しぶりの原稿依頼に苦心しております。
前置きはこれぐらいにしてまずよつ葉に関わる簡単な履歴を。私がよつ葉に関わった頃は、牛乳配達そのものでした。よつ葉牛乳をケース単位でグループリーダーのお宅までお届けするという形式でした。その頃はまだ.産直も今みたいに多くなく、3カ所(川西・島本・豊中)だったと思います。
光陰矢のごとし! あっという間にさまざまな団体・組織・産直が生まれていきます。その間に農場建設に加わったり、その頃が一番楽しかったなぁ♪ 40数年の間にさまざまな団体・組織・産直ができ、増えるにつれ会うこともできない、顔も知らない人も日々増えてくる。しかしながらよつ葉という大きな枠でくくれば皆同じだと思っている。
これからよつ葉がどこへ向かうのか?どこへ行くのか? 若者たちと一緒に歩いていきたいと思っている私は6月25日で退職しますが私は別の形でよつ葉と同じ道を進んでいきます。
よつ葉憲章にもあるように「私たちは志を同じくする団体や個人との協同を小異を超えて追求します」この言葉を胸に刻んでひとつなれるように前進あるのみ!! 長い間ありがとうございました。
(能勢食肉センター 里 剛)
44年生きてきて、2018年ほどいろんな意味で、濃厚で充実していた1年はなかったと感じながら、2019年4月20日に第10期北近畿産直センターの株主総会を行ないました。
濃厚で充実していた大きな要素として、事務所とセンターを京都府綾部市に引っ越しさせたこと、そしてその引っ越し先に4月より別院センターからの納品が始まり、綾部から各会員宅へ出発できるようになったこと、そしてその5日後に配送車が田んぼにダイブし廃車になったこと、OCR読み取り機がなく毎晩遅くまで手打ちしていたこと、そしてさらにもう一台の配送車も廃車になったこと、人員のところでも、、、とまあ数え上げればきりがないのでこのへんにしておきますが、なんせ「濃厚で充実していた」の意味が少しでも伝わればそれでいいです。
そんないろいろあったことを一つずつ経験し、乗り越えていけたのは僕の周りにいる人たちのおかげというほかありません。
悩んでしんどかった時に真っ先に話を聞いてもらい、的確なアドバイスをしてくれる、能勢産直センターのお酒大好きI・Sさん。悩んで疲れている時、休日の日曜日に電話しても嫌な顔(声)ひとつせずアドバイスをくれる、京都オーガニックサークル所属でうちの役員でもあるK・Tさん。いつもクールで解りやすく経理が苦手な僕に優しくアドバイスをくれる、「綾部は遠いわ」が口癖の経営センター所属で監査役のK・Kさん。自分のところで使わなくなった発泡スチロールを捨てずに北近畿へ贈ってくれる、下手くそな関西弁を使う大阪産直のM・Tさん。会員拡大しているこのくそ忙しい時に、この原稿依頼をしてくれる20年以上前一緒に仕事していた、能勢農場のT・Yさん。「あと○○○万円ほど売り上げをあげてもらわんと、うちは大赤字や」と、凄い形相で言ってくれる別院センターのM・Yさん、、、。
そして最後に、大雨が降ってびしょ濡れになってキツイ納品をしても、どんな僕の無理難題もしっかりとこなし、でも次の日の朝ちゃんと出勤してきてくれる、僕の数ある宝物の一つである従業員のみんな。
まだまだたくさんいるので書ききれませんが、こういう人たち(仲間)のおかげでいろいろなことを乗り越えることができたと思います。
北近畿産直にはこれからもいろんな事がおきると思いますが、どう乗り越えてそしてどのように成長していくのか僕自身も楽しみでなりません。
これからも北近畿産直センターをよろしくお願いいたします。
(北近畿産直センター 吉田 幸司)
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