秋は実りの季節、たわわに実った野菜や果物を収穫し、皆で祝うそんな季節なのだけれど、今年はいつもとは違う、いやかなり違っている。この間、毎年「異常気象」を連呼してきたが、今年は「想定外」という言葉がピッタリ、当てはまるそんな季節です。
8月の西日本で甚大な災害をもたらした「西日本豪雨」はここ能勢町でもそこかしこで土砂崩れにより道路が寸断され、身動きができなくなりました。と思いきや、こんどは逆に連日の「猛暑日」、大地も人もカラッカラ、「今日は夏日です」と言われるとなんだか涼しく感じるぐらいの日々でした。それが9月入って一辺、雨・台風・雨、9月上旬の豪雨では能勢農場の食堂兼女子寮の建屋の裏山が崩れ、モンブラン広場のすぐ手前まで土砂が押し寄せてきています。この日以来、二次災害を考慮し使用を控え今も避難生活を続けています。
この後台風が上陸した時は関西で大規模な停電が発生、農場は井戸のポンプが止まり、牛に水がやれなくなりました。「道路にはこんなにも水が溢れ出ているのに」と思いながら農場メンバー全員で道路に溢れる水をバケツリレー。関西よつ葉連絡会の物流網も大規模停電で麻痺し、工場も生産ラインがストップするなど多大な影響を受けました。私たちの事業が自然に寄り添いながらもその脅威にいかに脆いのかを思い知らされました。またこの間の災害で能勢農場も避難生活を余儀なくされていますが、改めて災害と避難生活がどれだけ人々の心に重く伸し掛かるのかを痛感しています。
地震・台風・豪雨、この間続いている自然災害は私たちの想像を遥かに超えるものとなっています。いつどこで起こるのかわからない自然災害が私たちの日常生活に徐々に広がりを見せている中、政治はというと災害地域に自衛隊を派遣し、政府は対策本部と称してその場、その場の対応しかない。中国や北朝鮮が脅威だといって軍備増強を図る前にこの自然の脅威から「国民の生命と財産を守る責任」を果たしてもらいたいものなのですが、なかなかそうはなっていない。まあ政府に守ってもらおうなんて思ってもいないですが、やはり「自分たちの生命と財産は自分たちで守る」でないと今やどうにもならないところまできています。各被災地でも災害に対して、地域自治を基本に行政とボランティアの方々、地域企業が一丸となって被災された方々のケアや日常生活へのサポートなど復興へ向けた仕組み作りが整備され始めています。ここ能勢町でも行政と畜産組合が手を組み被災状況の確認や対応など話し合ったり、地域の方々が協力して土砂の撤去や倒木の処理など協同して取り組まれています。
まだまだ小さな一歩ですが、結局はこうした取り組みが私たちの日常生活を自然災害から守り、お互いを支え合う仕組みの基礎になると思います。まだまだ台風、豪雨の季節は終わっていません。来年、再来年も続くでしょう。でも今一度、災害に対する備えや術を地域内での協同を基礎にどうあるべきか考える機会にしていきたいと思います。
(能勢農場 寺本 陽一郎)
モンブラン広場まで押し寄せた土砂
またもや24号の台風が日本列島をめざしてやってきました。度重なる豪雨。
何度も襲ってくる荒れ狂う風。どの方向からどんなふうに走り去って行ったかが作物の倒れ方で一目瞭然!
流れ込んだ土砂で毛細根たちは締め付けられ、窒息死寸前。酸素がいきわたらないので畝を中耕し、空気を補給。瀕死の根からは追肥の吸収力が期待できないので、液肥を葉面散布。
葉がちぎれて不格好なキャベツやブロッコリーも愛おしく、頑張ったなーと声をかけ復活を祈る。
観測以来最高と言われる雨量は、私が子どものころに聞いた竹林、裏山の安全神話を無かったことに、いやいや逆に危険区域としての存在に変えようとしている。
今なお崩れ、滑り落ち、根っこから逆さに向いて山中に止まっている樹木。ボキボキとへしおられて重なり合って堆積している木々たちは高さがなくなり、見通しの良い明るさがその激しさを示している。私たちの力だけではどうすることもできない状況。
こんなことが全国各地で続けさまに発生し心が痛みます。
毎回、毎回、台風対策としていろんなものを縛り付け、木を打ち付け、ネットをかけ抑え込む。回を重ねるごとに段取り良くなってくるのは嬉しくない慣れ。
いろいろ周りを見回しながら状況報告をするも、もう皆さんもお腹いっぱいではないでしょうか。今までに経験のないほどの自然の猛威を目の当たりにし、恐怖・驚き・悲しみ。でも我が所だけでなく日本各地での手の付けられない状況。世界にも起こり続ける災害の波。
「苦しい時の神頼み」ではありませんがこれ以上もうやめて!と祈るばかりです。
自分たちの出来ることを一個でも二個でもやらなくちゃぁと考えます。効果があるかどうかは解りませんが、野菜たちを守るため、住んでいる地域を守るため、進む温暖化を少しでも止められるよう知恵を絞って、小さな行動でも積み重ね、実行していきたいと思っています。
(㈲北摂協同農場 安原 貴美代)
大雨で崩れた土手
僕は、45年の人生を振り返ってみた中で台風での警報とか、停電とかは幾度も経験してきましたが、特に被害があったとかはなく、停電もありましたが長くても10分で復旧したりとかで被害にあった経験がありませんでした。もちろん、ニュースとかで各地が大雨による水害、浸水、停電と大変な状況になってることは知りますが、身の回りで体験は今まで一度もありませんでした。
9月4日(火)その日は、いつもと同じように朝、会社に来て仕事をしていました。ただ、昼過ぎに台風21号が近畿地方を通過するということでした。夕方には台風もどっか行くだろう、と軽い考えでいました。
昼過ぎから徐々に風、雨が強くなってきましたが、それほど凄まじい印象はなかったので普通に作業していましたが、午後2時50分ぐらいだったと思います。停電になりました。その時は、3分も経てば復旧するだろうと軽い気持ちで待っていましたがなかなか電気が付きません。電気が付かないと作業はできませんので一旦中止し復旧待ちです。30分、1時間と待っても電気が復旧しません。
3時間後、時間は午後5時過ぎ、台風も完全に通り過ぎ雨も風も止み普通の夕方になっていましたが、停電は復旧しません。さすがにこれはヤバイと思いました。
午後6時過ぎ、外に出て辺りを見回すと遠くの方で街灯が付いていました。あっ!もう付くだろう!と少し安心しました。その時は・・
待って待って、気づけば深夜0時・・停電・・その日はあきらめ帰宅。
翌日、5日 会社に出勤・・えっ!~まだかい!!
翌々、6日 会社に出勤・・えっ!!~終わった・・!!
さすがに気持ちめっちゃ重い(´;ω;`)ウゥゥ
6日の午後4時ごろだと思います。電気が付いた(´ ∀`)その時は、本当に嬉しかったです。
初めての経験、やはり経験したことがないと被災した人の気持ちや、不安がわからない本当に思いました。
いつ起こるかわからない自然災害、今回の経験を次回につなげたいと思います。
(能勢の里から ハム工場 東山 英伸)
(能勢食肉センター 井上 高嘉)
那覇空港10時15分に着き空港では、沖縄物産企業連合の田場さん比嘉さん宮城さんの3人の方がお迎えに来てくださりガイドしてくれました。最初は賀数高台公園に行き普天間基地を遠目で見ましてオスプレイが4機止まってました。いろいろ事故が起きて注目してました。なんで、あんな危険な乗り物があるんだろう、なくしてしまえばいいと思いました。米軍の基地周辺は警備員と沖縄警察がいて止まるとすごい睨み付けられて、サングラスとマスクしてるのでわかりませんがそのような気がしました。
次に辺野古テント村に行き歴史と現状を聞き、新しい基地を作ろうと埋め立てを強行していて座りこみをしたり反対しているが、なかなか埋め立てが止まらず、きれいな海もなくなってしまうし、海に住んでるジュゴンや珊瑚が死んでしまう。海を守らないといけないと強く感じました。沖縄の地が段々と米軍基地に占領されていく県民は、おとなしく見てはいられない、なんとか抗議して反対し「やりたいようには、やらさない」と話を聞いて強く感じました。そのあとグラスボートに乗り沖縄の透き通った海をボートの真ん中が透けているところから覗きました。すごくきれいな海、きれいな魚、きれいな珊瑚に感動しました。こんなきれいな海は、宝だなと思いました。
辺野古から帰り道コープのお店の隣の広場で選挙に出馬する玉城デニーさんが熱い講演会をしてて翁長知事の意志を継ぎますと固く決意されてまして翁長知事の奥さん、息子も応援に駆けつけてました。僕らは県民ではないが、玉城デニーさんがんばれーとエールを送りました。頑張ってほしいと心から思いました。大阪からエールを送りたいと思います。
その後チャビラホテルに着きチェックインしました。その夜は交流会沖縄物産企業連合の田場さん、比嘉さん、宮城さん、沖縄自立じんぶんネット代表の宮城恵美子さん、弁護士の三宅俊司さん、方々と近くの居酒屋で大盛り上がり。参加してる一人ずつアピールとして一言では、終わらないぐらい。ラフテーとか沖縄料理もとてもおいしくいただきました。店の店員のお姉ちゃんが、さんしんで演奏してくれてみんなで歌いました。楽しいひとときでした。
次の日朝7時30起床でモーニングは、ホテルのバイキングでパンを少し食べました。そのあとアキノ隊員のスライド上映で高江の報告がありました。場所は、企業連合の会議室です。米軍の基地でヘリやオスプレイがたくさん飛んでいて事故があったりで、だんだん森の木が切られて生物が死んでいってます。だんだん自然が破壊されています。アキノ隊員の話を聞いて生物の可愛さと危機を感じました。
(能勢産直センター 齋藤)
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