
北摂協同農場の秋冬の畑の様子をご案内致します。
9月、10月には稲刈を雨の中を潜り抜け何とか終えることができました。
田んぼの水張りに際し代掻き、畔塗、溝切の不十分さから水漏れが激しく田んぼになかなか水が安定的にたまりませんでした。田んぼのぬかるみが激しく予定していた圃場は代掻が出来ない状況で圃場を変更、作付を取りやめたりしたところがありました。
5枚の圃場で1枚(7アール)は当初より無農薬米に挑戦で草取りも覚悟していましたが、許容されている1回の除草剤の投入タイミング、投入後の水の管理などが悪かったせいで他の4枚も無農薬の圃場と変わらぬ草だらけの田んぼになってしまいました。手押しの除草機で2~3度除草した後、人海戦術で能勢農場にも応援依頼し、皆で並んでの手除草をしましたが、思うようには除草が進みません。皆短パン姿で四つん這いになりへとへとになりながら1日を費やし、田んぼのぬかるみを進むには裸足が一番と確信しました。
新スタッフによる稲作は来年に向けてたくさんの課題が記録されました。草の勢いに負けたせいか収穫量はかなり少なかったのですが、米検査においては「カメムシ2等」という評価をいただきました。カメムシの被害は米に出ているが、他の評価では1等米と同じというよつ葉有機米の上位の評価です。食味検査においても良い評価をいただき来年のガンバル糧となりました。その後も適当?な間隔をあけ雨が降り、台風が続けて2度来てしまい北摂協同農場自身の収穫寸前のブロッコリーが横倒しになったり、トマトハウス4棟ともビニールがとんでハウスが骨組みだけになってしまいました。「うまくいけば12月まで収穫できるかも?」という期待は吹っ飛んで、青く大きくなっているトマトが残念感を強く訴えています。近隣農家の被害も多くハウスが倒壊したところも数件あり、白菜が横倒し、レタス、サニーレタス、大根などが風にあおられ外葉がちぎれたり、根を痛められたり、散々な状況でした。
日本全国的に、長雨、集中豪雨、台風、8月後半より厳しい状況となり野菜不足が心配されます。雨に打たれているのは、畑も同じで、秋冬作の種まきや、定植も遅れ気味、寒波も予想外の速さでやってきました。負けるモノかとぬかるんだ畑に2万9000 本の玉ねぎの苗を定植しました。葉物不足が予想されそうなので、間に合うかどうかわかりませんが、ホウレンソウ、小松菜などの種まきを進め、寒さ予防にべた掛け、トンネルでカバーしようと知恵を出し合っています。今が頑張りどころ!明日は台風に耐えてくれた三太郎大根の出荷です。
大北食品より依頼を受け、よつ葉のおでんに出世します。能勢農場の牛糞堆肥で農薬を使用せず育っています。この出荷する嬉しさを胸に、次への作業に一歩前進。よつ葉のおでん・つゆのしゅんだ大根をぜひお試しください。
(北摂協同農場 安原 貴美代)

稲刈りしている稲作担当新人の寺本君です!

能勢農場 古市 木の実
拝啓
吹く風が冷たく、鼻が真っ赤になり、霜焼けに悩まされる季節となりました。寒さの厳しい能勢へ来てから6年。この6年間は私にとって、かけがえのないものとなりました。私は、あなたたちがしている農業が大嫌いでした。仕事はきついし、お金もない。休みなんてないし、家にはいつも誰もいない。雨の日がとても嬉しく、台風なんて最高でした。そんな私が農業をしたいと思うようになったのは、ここに来てからです。
小さい頃から動物が好きで、動物に関わる仕事がしたいと思ってたどり着いた能勢農場。最初は、山奥にあるし、恐ろしいところかとビクビクしていましたが、そこで働いている人たちの人柄や雰囲気に魅了されて働くようになりました。
ここには、本当にいろいろな人がいて、たくさんのことを学びました。
年齢が違えば、生い立ちも違う。考え方や目指すものも違う。
時には受け入れられないものとぶつかり合うことで、少しずつ自分の大切にしているものがわかってきたような気がします。
相手を想うからこそ、伝える。
周りのために考え、行動する。
そのことをみんながしている。できるように努力する。
その姿勢に驚きと居心地の良さを感じました。
今では私にとって、ほっとする場所。かけがえのない人たちです。
でも、今の私は「関西よつ葉連絡会」という大きなもので守られていて、「能勢農場」という大きなゆりかごに入っているような感覚でした。これでいいのだろうかと考えるようになったとき、あなたたちが守ってきたものが維持できなくなってきたと知りました。自問自答を繰り返し、自分にとって大切なもの、大切にしていきたいものが何なのか考えるようになりました。そして決断しました。
自然の中で生きること。自分らしく生きること。その喜びを教えてくれたのが、この場所です。
これからは、自分の足で立ち、自分の頭で考え、自分の手足を使って、自分で風を感じて生きていく。それはとても怖いし、不安です。
でも、私にはこれまで出会ったたくさんの人たちがいます。たくさんの人に出会い助けられました。そして、心の支えとなっています。
これは、「自分のしたいことをしたらいい」と、全力で支え、応援してくれたあなたたちのおかげです。
もうすぐ、あなたたちの待つ種子島へ帰ります。これからは、私の師として、ライバルとして、共に歩んでいきたいです。
敬具


能勢農場に来て、はや3年目となります。私は、能勢農場より春日牧場で仕事をする方が、どちらかというと大半で、今では春日に常駐になり仕事をしています。みなさん、ご存知だとは思いますが、春日では12 ヶ月から27ヶ月まで肥育し、出荷(ト殺)します。約220頭の牛がいて、3人体制でエサ給餌やエサ作り、諸々の作業をおこなうことが基本ですが、2人で作業をおこなう時が稀にあります。その時は、エサ給餌の時間に大半が費やされてしまいます。そこで、「えさ給餌の時間をできる限り短縮できるようにならないか」ということで、牛の頭数は春日より多く、2人でエサ給餌をしておられ、なんと1時間弱で終えられる畜産農家さんのエサ給餌の仕方を見学にいってきました。
牛舎の構造の違い(春日は牛舎が点々として離れていて、移動に多少時間を費やされたりするが、こちらは一つにまとまっていて動線がスムーズになる構造)、エサの種類の違い(春日は粗飼料・おから・配合飼料と給餌するが、こちらでは粗飼料・配合飼料のみ)と、根本的な違いはあります。ですが、早く終わらせるためのアドバイスをいただき、見てきた事を参考にして、春日でも取り入れられるところを取り入れ、今までの仕方を少しだけ変えてエサ給餌を試みたところ、少しですがエサ給餌の時間を短縮できるようになりました。
それでも、まだまだ改善できるところはあると思います。ちょっとしたことが積もり積もって時間のロスになっていること、前準備をしておくこと、人の効率的な動きを考え直すこと、などなど…。今までの仕方に固執してしまって、そのままでいないように、まだまだいろいろと見直し、エサ給餌の時間短縮をもう少しできるよう試みていきたいと思います。
(春日牧場 中原 恵一)

福島の飯館から種を分けてもらって、能勢の私の畑に植えるようになって今年で3年目です。去年は、長雨で全滅させて一つの収穫もできませんでしたので、一緒に作っていただいた方々にご迷惑をかけてしまいました。
今年も参加者を募って2家族と2名の方が来てくれて、カボチャを育てました。毎年、5月から8月の間に来ていただいて、苗の植付けと雑草取り、収穫をしています。今年からいちご狩りを始めて子供さんにも楽しんでもらいました。
福島の原発事故から6年もたちました。「福島は除染されてもう、故郷に帰れます。」という行政の宣伝のために福島の原発事故は、収束したように思われる方がいらっしゃるだろうと思います。しかし、帰村する人はそんなに多くはありません。健康が害
される地に戻るに戻られないのです。破壊された原子炉周辺から放射線が今だに出ているとの話を聞きました。被災された人々が受けた傷は、まだまだいやされてないようです。
「能勢で作ったこのカボチャを食べますか。」と川俣の被災者に聞いたところ「いらない」という返事をいただきました。放射能の恐ろしさを身にしみて感じているのだと思いました。
先日、豊中で飯館のカーチャンの映画を上映するとのことで、カボチャ売りとカボチャ作りをやっているビラをまかせて欲しいとお願いしたところ了解を得ました。カボチャは完売。そして双葉町の元畜産農家で現在、埼玉で野菜農家しているUさんにプ
レゼントしました。彼女は種取りをして作りたいとおっしゃってくれました。そのカボチャがどうなるか楽しみです。
(ハッピー農園 伊藤 行裕)