
桑名さんが、入院していた病院から、京都府南丹市に在るグループホームに移って1年余りが経った。相変わらず見当識障害は続いているけれど、不具合がひどかった入れ歯がきれいになって、顔つきは生来の端正な顔に戻った。髪は黒々として、「ナンデ、そんなに頭が白くなったん」と会うたびに同じあいさつを返してくる。
ローソクは4本
そんな桑名さんと、ぜひ、ロシア革命100年を祝いたいと、11月8日、誕生日用のケーキを買ってひさしぶりの訪問。桑名さんの誕生日は11月7日。今年で確か64歳だったと思ったので、ローソクは4本にした。11月7日はロシア革命の日でもある。1917 年11月7日、レーニンに導かれたロシアボルシェビキが、2月にロシア帝政が打倒された後の、ケレンスキー政権を武装烽起で崩壊させ、社会主義政権が成立した11月革命の日である。
桑名さんが、自分の誕生日とロシア11月革命の日が同じであることを、何時、どのように認識したのかを聞いた記憶はない。しかし、彼が当時は大阪市天王寺近くにあった大阪外大ロシア語学科に入学し、日本共産党の民青全学連の活動家として活動してきたことは聞かされていた。時代は、大阪府黒田革新府政、京都府蜷川(にながわ)革新府政の頃で、この流れで日本に革命の時代が来ると、本当に信じていたと語っていたものだ。
ロシア語が飛び出す
彼が愛してやまないレーニンのポスターが、能勢農場の食堂の片隅に、ホコリをかぶっていたのを思い出し、ポスターを持って行ったら、訳のわからないロシア語が彼の口から次々飛び出してきた。グループホームの彼の面倒を見てくれている女性の話によれば、時折り、ホームでの生活でもロシア語が返ってくるらしい。それも彼女のダメ出しに、少々、不満の意を込めて発せられるのが常なのだという。きっと「バカ」とか「クソ」とか、ロシア語が判らないのをいいことに言っているのだと思うと、彼女は楽しそうに教えてくれた。
僕がロシア革命に初めて出会ったのは、高校2年生の世界史の授業だった。世界史を教えていた教師は学校でも有名な変わり者で、あだ名は「ポン中」。戦後、ヒロポンという名の麻薬に手を出して中毒になった経験があるといううわさの持ち主だった。彼の世界史の授業は、全て歴史上の革命を中心に教えるというもので、僕にはすごくおもしろいものだった。イギリス革命、フランス革命、ロシア革命、中国革命。大学受験の為の知識としては少々詳しすぎる革命史を独特の口調で話してもらった記憶が、今でも鮮明に残っている。その次のロシア革命との遭遇は、能勢農場を創ることを僕たちに呼びかけた、戦後日本共産党を除名された先輩たちとの出会いであった。彼らには、ロシア革命が切り開いた新しい世界への希望と、その闘いで倒れた多くの労働者、兵士たちの魂が受け継がれているように感じられたものだった。
甦る時間
今の桑名さんにとって、時間は、過去から現在、未来へと続く一直線の流れではないのかもしれない。毎日が過去へと遡り、甦る反復のように思えてくる。今が何時なのかを繰り返し尋ねる彼に、今日は2017年11月8日だと、こちらも繰り返し答えるけれど、彼はすぐに、遠い記憶が甦る過去へと戻っていく。数量化され、未来へと直線的に進む、不可逆の時間に縛られすぎた僕の価値観で、そんな彼の無念さをずっと考えて来たけれど、発症からもうすぐ6年が過ぎようとしている中で、それは、僕の勝手な思い込みにすぎないのでは、と思えるようになって来た。桑名さんがロシア語を学び、レーニンの著作を読み、ロシア革命に自分の人生を重ね合わせようと生きてきた時間は、今も彼の中で生きているのだと思う。そしてそれは、彼が最も輝いていた時間だったのではないのか。
4本のローソクを吹き消した瞬間、彼の顔につかの間表れた笑顔は、30年以上昔に戻ったそれのように思えたのだから……。
( 能勢農場 津田 道夫)



やっと寒くなってきた。
1年のモヤモヤを杵に力を込めてバーン!とつき飛ばそう!!
日 時:12月17日(日) 午前10時ごろ~つき終るまで
場 所:能勢農場 食堂前

参加費:500円(小学生から)
※酒、ビール飲み放題、雑煮、ぜんざい、安倍川モチ、焼きモチ食べ放題(余分があればおわけします。 1㎏=1200円)
※食べもの、飲みものがなくなり次第、終了とさせていただきます。