今年も福島からたくさんの子供たちが能勢農場を訪れました。2011年の東日本大震災から6年目。震災の翌年、保養林間学校を開催するために現地福島を訪れた時、地震と津波の爪痕が震災の凄まじさを物語っていました。
それでも震災から1年目ということもあり除々に復興へ向けて整備され始めていましたが家屋が次々と解体され無数の空地が続く光景に「ここに再び家が建ち並び以前と変わらぬ活気を取り戻すのにあと何年掛かるのだろう」と感じたのを今も憶えています。あれから5年ぶりに再び福島の地を訪れる機会を得ました。
今回訪問したのは飯館村で酪農を営まれていた長谷川健一さん、浪江町で今も牛300頭とともに暮している「希望の牧場」の吉沢正巳さん、そして郡山市で米作りを営む中村直己さんのところを訪れ今の福島の第一産業の現状を視察しました。まず現地に着いて感じたことは放射能汚染の厳しかった地域とそうでない地域とで明暗がはっきりと分かれていたこと。
今回訪れた飯館村と浪江町は今も汚染がのこる地域。飯館村は避難解除になっていますが戻ってきた人たちは震災前の5%にも充たず、そのほとんどは高齢者の人たちです。除染作業や汚染土壌の撤去作業は今も続いていて休耕田と空家が延々と広がり、その中におびただしい数の汚染土壌が入ったフレコンバッグが田畑に置かれていました。そんな地域に学校を新設し、巨大な道の駅が建設され、復興のシンボルとされているのですが。
飯館村の長谷川さん曰く、「第一産業はここでは成り立たねえし、第一住む人がいねえのにどうやって維持するのか皆目わからねえ。原発事故は産業も地域も家族もみんなバラバラにしてしまった。もう2度と元に戻らねえ」。原発事故から6年が経過しても復興するどころか将来への見通しすら考えられなくなっていました。
浪江町ではおよそ3分の1の地域で避難解除となっていますが帰還したのは震災前の1%にも満たない状態で帰還意向調査では「浪江町にはもう戻らない」という人たちが5割を越え、ここ数年で町の半分以上の家屋が解体されるという。「町はなくなった。サヨナラ浪江町だ。俺とここにいる300頭の牛は原発事故の生き証人だ。こいつらとともに暮らし、反原発で戦う」。吉沢さんのこのことばに絶望から必至に希望を見出そうとしている気持ちがひしひしと伝わってきます。
一方福島の内陸に位置する郡山市で米作りを営む中村さん。米所とあって震災から復興し、以前のような活気を取り戻したかに見えたが、中村さん曰く「風評被害でどんなに良いものを作っても福島の生産物というだけで格下扱いに。顧客も警戒して戻ってきそうにない、でもしょうがない」とここでもやはり原発事故の影響で人と人との関係が分断されてしまっています。
原発事故から6年。時間とともに除々に復興への歩みがあるのはたしかなのかもしれない。でも政府がいうような〝原発はコントロールされている。だから五輪や万博で経済を盛り上げよう〟などと本気でいっているのだろうか。
福島を訪れた朝。新聞を買って読んでいると天気予報といっしょに福島の各地域の「今日の放射能の空間線量」と題して掲載されていた。こんな現状が続く限り、本当の意味での復興とは成り得ない。改めて私たちはこうした原発事故後の現状を今一度我が身に置換えて考えなければならない時期ではないでしょうか。
(能勢農場 寺本 陽一郎)
( 能勢農場 中原 恵一)
路地で育てた無農薬栽培のさつま芋です。品種は、甘くて大好評の鳴門金時です。鮮やかな黄金色、ホクホクした食感で甘みが強いのが特徴です。旬のさつま芋をたくさん掘って、いっぱい食べよう!! どうぞお越しください。
(北摂協同農場)
6月14日よつ葉ビルにて、第19期定時株主総会を開催しました。前期は食肉加工部門の責任者が交代するといった、大きな出来事があった年でしたが現場を担う職員が、責任者の不在、そして交代を前向きに受け止め、若手職員が中心となり作業分担、手順を見直し現場の作業も停滞することなく順調に進めることができました。そして売上、粗利とも前期を上回り好調と言える業績を残すことができました。
しかしながら帆を掲げさえすれば目的地に自動的に辿り着けるほど順風が常に吹いている訳ではありません。前途は多難です。施設の老朽化、新卒・途中入社の職員の採用および定着、パート職員の確保、よつ葉の畜産ビジョンの進捗状況など数え上げればきりがありません。たとえ業績が順調なものであっても、その実は山あり谷ありの連続で、たまには平地の直線をフルスピードで走り抜けてみたいと思うのですが、案外この断崖絶壁が連続する光景は、なかなかの絶景で見飽きることはありません。どんと来いです。能勢食肉センターは座することなく多難な前途に向って、男子は今以上に男前に女子は今のままのべっぴんを保ちつつ進んでいきます。今後ともご指導ご鞭撻、ご協力のほどよろしくお願い申し上げます。
(ハム工場 佐藤 雄一)
8月、9月の北摂協同農場では、「大阪のてっぺん」または「大阪の軽井沢?」と呼ばれている天王地区で夏秋トマトを栽培しています。他の畑や、田んぼの圃場がある地区と比べると少し標高の高い地域です。テレビなどで発表される大阪の最高・最低気温から5~6℃ほど低い気温になり、高原野菜に似た作型で作ることができ、一般では収穫量が減ってくる、お盆前後からの出荷が可能で、一昨年は11 月頃まで収穫が出来ました。真夏とは違いゆっくり熟すこともあり、また寒暖の差が大きいのでおいしいトマトが出来ると昔から天王トマトは人気がありました。しかし大阪とはいっても小学校も統合され、なくなってしまった天王地区も高齢化が進みおいしいトマトを作る生産者が激減しています。6年前から天王トマトをもっと出荷できるように北摂での取り組みを始めました。今期は4棟のハウスで1400本の苗を6月の中旬に定植し7月下旬から出荷が始まっています。4棟の収穫の最盛期はまだうす暗い朝の5時から収穫しても、出荷に間に合わないので一便早く作業小屋に戻って選別、計量出荷を始めていきます。今年はゲリラ的な雷雨が多く、雨よけはしているものの湿度も高くなり、また畝にもジュワ~っと水分が来るようで、割れというか裂けてしまう実が多く出てしまい残念です。しかし、昨年と違うメンバーで初めて取り組んだ天王トマト。失敗はあれこれありますが、能勢トマトに出荷できるようには栽培できたので一安心です。
これから先、何月までトマトが出荷できるか、トマトの木に愛情を注いでやりたいと思っています。ここへ来て1棟目に裾葉が枯れてくる病気が出始めて防除を考えています。
今からでは遅いかもしれませんが、他の棟にうつらないように、また1棟目が全滅しないようにと願っています。
そんなトマトの世話で忙しい中、米の収穫稲刈りが始まり、北摂としてはこの時期の大きな山の一つです。これまた若い新しいスタッフが初挑戦する大きな仕事になります。除草剤1回使用の田んぼも、無農薬で取り組んだ田んぼも同じくらいの雑草でコンバインが入るかどうか心配しています。除草剤を使用した時期に大雨で薬剤が流されたようで、何度も手除草もやりましたが、焼け石に水状態! ひょっとしたら稲刈りも、手刈りになるかも!?と心配しています。同じ作物の栽培でも毎年、毎年新たな問題が発生し、頭をなやませます。不安を抱えながらも、ケセラ・セラで耳栓し、鼻をつまみ勢いつけてその困難に飛び込んでいっきまーす!
(㈲北摂協同農場 安原 貴美代)
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