よつばつうしん
2016年3月号(No.060)
視点論点

震災と原発事故から5年
小出 裕章(元京都大学原子炉実験所)

●天災と人災

「天災は忘れたころにやってくる」と昔から言われた。2011年3月11日午後、巨大な地震が東北地方の太平洋で起き、巨大な津波も発生した。その日、地震や津波が来るとは誰も思っていなかった。いつか来るかもしれないとは思いながら、人々はいつも通り生活していた。恋人同士、あるいは若い夫婦二人で生きていた家もあったであろう。核家族の家も、あるいは何世代も同居していた家もあったであろう。その日、皆がいつも通り起き、いつも通り仕事に行ったり、学校に行ったりしていた。そして、突然、地震と津波がやってきて、2万人を超える人たちが、家族のもとに戻れないまま命を奪われた。そして、この日はそれだけでは済まなかった。福島第一原子力発電所が、地震と津波の影響で全所停電に追い込まれ、炉心が熔け落ちて、膨大な量の放射性物質が噴き出してきた。もちろん、人々は原子力発電所だけは絶対安全で、事故など起きないと聞かされてきたし、本当にこんな事故が起きるとは思っていなかった。
 しかし、原子力の専門家は、もし原子力発電所が大きな事故を起こすとすれば、それは全所停電になった時であることを知っていたし、福島第一原子力発電所の場合には巨大な津波が来る可能性があることも東京電力は知っていた。それなのに、津波対策をすればカネがかかるし、まさか大きな津波など来ないだろうと高をくくって対策を取らなかった。その日の夜には原子力緊急事態宣言が出され、福島第一原子力発電所から3km、10km、20kmというように次々と避難命令が出、地震と津波で傷ついていた人々は家を追われた。避難区域内には、自力で逃げられない人ももちろんいたが、そういう人たちは、助けに来てくれる人もいないまま倒れていった。天災は避けることはできなくても、人災は避けることができるし、福島第一原子力発電所事故はまさに人災であった。


●福島第一原子力発電所の現実

そして事故から5年の歳月が流れた。しかし、一番肝心な熔け落ちた炉心が今どこにどんな状態であるかすら分からない。なぜなら人間が現場に行けば即死するほどの放射線が飛び交っている。東京電力や国は、代わりにロボットを行かせようとしてきたが、ICで動いているロボットは放射線に弱い。現場に向かわせたロボットは次々と討ち死にしてしまい、戻ってくることができない。現場の状況を知るまでにこれから何年もの歳月がかかる。でも、すでに熔け落ちた炉心がさらに熔けることは許されないとして、事故後5年間、炉心があった場所をめがけてただひたすら水を注いできた。そうすれば、注いだ水が放射能で汚れた汚染水になることは当然のことである。毎日300トンから400トンの放射能汚染水が増えてきて、東京電力はこれまではタンクの増設で凌いできた。しかし、タンクの増設には限りがあり、遠くない将来、汚染水を海に流さざるを得ない日が来る。
 何とか、少しでも放射能の漏えいを防ごうと、今現在も約7000人の労働者が放射能と戦っている。しかしその労働者たちは東京電力の社員ではなく8次、9次、10次といわれる下請け・孫請け環境で雇われている底辺の労働者たちである。


●5年後の敷地外の現実

2011年3月11日からすでに5年。地震と津波で破壊された町の復興も大変である。しかし、放射能で汚染された町の復興はさらに大変である。約1000平方kmの土地は、強度に汚染されたため、「帰還困難区域」として今後何十年にもわたって人々が帰ることはできない。その土地で、先祖代々生きてきた人々、その土地を自分の故郷として生きてきた人々は、二度とその場に戻ることができない。そうした人は1人ではなく、2人でもなく、10人でも100人でもなく、10万人を超える。
 また、その周辺約1万4000平方kmの土地は、日本が法治国家だというのであれば、「放射線管理区域」に指定し、人々の立ち入りを禁じなければならない基準以上に汚れた。しかし、国は今は原子力緊急事態宣言下であり、法律を守らなくてもいいということにした。そして、事故から5年たった今もその宣言を解除できないまま、人々は放射線管理区域の中で生活することを強いられている。緊急事態が何日か続く、あるいは1月続けざるを得なかったということなら、まだ分かる。しかし、5年間緊急事態を続け、さらに数十年に亘ってこの緊急事態を続けるとこの日本という国が言うのである。もともと、日本の法令では、普通の人々には1年間に1ミリシーベルト以上の被曝をさせてはならないとされていた。しかし、今は緊急事態だから1年間に20ミリシーベルトまでは我慢せよといい、一度避難した人に対しても元の場に帰還するように国が指示し、これまで曲がりなりにも認めていた避難住宅の支援も打ち切るという。1年間に20ミリシーベルトという被曝量は、放射線業務従事者と呼ばれるごく特殊な労働者に対して許した基準であり、それを赤ん坊も含めた一般の人に許容するなど、到底あってはならないことである。


●高浜原発などの再稼働

福島第一原子力発電所事故が起きるまで、原子力発電所は、厳しい基準の下、厳しい安全審査を受けて安全性を確認しており、大きな事故は絶対に起きないと国は言ってきた。しかし、それが誤りだったことは事実で示された。そのため、従来の基準を使えなくなった国は、何としても原発を再稼働させるために「新規制基準」なるものを作った。もともとは「安全基準」を作りたかったのだが、絶対に安全といえないことはすでに事実が示しているため、「規制基準」とされたのであった。九州電力の川内原発、関西電力の高浜原発、四国電力の伊方原発がすでに規制基準に合致したとして原子力規制委員会から合格証を受けたが、同時に原子力規制委員会委員長の田中俊一さんは「安全だとは申し上げない」と言っている。それが政治の場に行くと、安倍さんは「安全性が確認された」原発は再稼働させるとなってしまう。さらに、住民を被曝から守るために重要な避難計画は、原子力規制委員会の審査から外され、それぞれの立地自治体に丸投げ、押し付けされることになっている。事故が起きても誰も責任を取らなくてよい体制が一層強化されたのである。

原発に安全はない	フクイチの現実
『原発に安全はない
フクイチの現実』

―小出裕章さん
インタビュー集―
人民新聞社【編】
2015年3月 双葉堂
72ページ600円(税込)
注文番号
59961
注文受付:3/14〜3/19

福島第一原子力発電所事故から私が得た教訓は「原子力発電所の事故は悲惨な被害を生じる。であれば、原発は即刻すべてを廃絶させるべきものだ」というものである。しかし、原子力を推進してきた人たちが得た教訓は、私が得た教訓と全く違っていた。彼らが得た教訓は「どんなに悲惨な被害を出しても、誰も責任を取らずに済むし、処罰もされない。原発を再稼働させて再び事故が起きても、怖くない。それなら、再稼働させて金儲けしよう」というものだったのである。こんな不正は決して許してはならないことだと私は思う。

こいで・ひろあき 1949年生まれ。1974年、東北大学大学院工学研究科修士課程終了後、京都大学原子炉実験所に入所。同実験所で原子力利用の危険性を研究し続けてきた「熊取六人衆」の仲間たちとともに反原発を訴えてきた。2015年3月の定年退職後も、講演・執筆など精力的な活動を続けている。近著に『原発ゼロ』(幻冬舎ルネサンス新書)、『100年後の人々へ』(集英社新書)など。

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