よつばつうしん
2015年7月号(No.052)
視点論点

叛乱としてのオーガニック
藤原辰史(京都大学人文科学研究所)
 

梁瀬義亮(やなせ・ぎりょう)
写真提供:財団法人慈光会
 ●決まり文句の、そのさきを考える
 なぜ、瑞々しくて、ちょっと曲がっていて、泥がついていて、生産者の名前が書いてあって、農薬の種類と使用量が分かって、あるいは、無農薬とか化学肥料不使用とか、やや控え目に謳ってあって、場合によっては農家の名前や写真が飾ってあるような食物を人々は選びたがるのだろうか。なぜ、ちょっとウッディーな雰囲気の、白い照明がテカテカしていない、自然、健康、大地といった言葉が並んでいるようなお店に行きたいと思うのだろうか。蛍光灯によって明るく品物が照らされていて、似たような印刷が施された過剰包装がなされているような大規模量販店ではなく、なぜ、わざわざ地球に優しくて家計に厳しい食べものを、好んで選び取ろうとするのだろうか。
 子どもの健康のため、子どもがアレルギーのため、自分の身体の調子を整えるため、おいしい人参が食べたいため、化学薬品が苦手なため。いろいろな理由が浮かぶだろう。おそらく、私を含めた多くの人が、街頭インタビューを受けたら咄嗟にそんな答えを選ぶのだろう。これらの正しさは否定しようもない。除草剤に長期間さらされた身体がどのように健康を失っていくか、枚挙に暇がないし、家族が健康であるという願いは、手の垢がついた決まり文句であるとはいえ、人類の根源的な欲求であることは否定できないだろう。
 けれども、誤解を恐れずいえば、そんな理由だけではもったいない。オーガニックなライフを満喫するだけなら誰でもできよう。こんなスケールの小さい答えしか用意できないのはなんともケチくさい。有機とか無農薬という言葉に反応して全自動的に購入している程度のロハス・マシーンと、家族の健康のためと答える家族想いの人間との違いは、思った以上に大きくないのではないか。
●文明批判としての
 有機農業運動・消費者運動

 奈良の医者であり、僧侶であった梁瀬義亮は、1975年に刊行された彼の著書『有機農業革命』のなかでこう述べていた。「奪うことと殺すことを前提にしたのが近代文明であり、近代農法である。それに対して、奪わず、殺さず、与えられ、活かされることを前提にした文明を私は提唱したい。そして、それが有機農法のこころである」。なんと勇ましい「テツガクハイッテル」有機農法家、こんなふうにいまなら揶揄されるかもしれない。だが、少なくとも初期の有機農業運動や消費者運動には、こんな熱くてダイナミックな文明批判が広く深く共有されていたのである。有機農産物を作ること、そして、それを選ぶことは、ライフスタイルの問題であると同時に、あるいはそれ以上に、いまの「文明」とは異なる「文明」を創らんとする勇ましい行為であったのだ。
 たとえば、良質な食品を選ぶ人間は、必然的に、戦争および戦争準備が企業の利益を生み出すような現代社会の悪循環に果敢にも挑んでいる。農薬の使用をできるだけ拒むということは、農薬の戦時利用でもある化学兵器の廃絶を進めることである。旬の野菜を選ぶということは、促成栽培に必要な化石燃料の使用を減らすということであり、石油利権をめぐる紛争に関わらないという選択であり、憲法の解釈を強引に変更してまで資源という「国益」を守る戦争に出かけていきたい政権を批判し、将来的に我が子が「奪うこと」「殺すこと」に加担しないようにするための闘争である。小さな規模の農家が丹誠込めて作った野菜を選ぶことは、農業の大規模化を目指す多国籍企業の世界征服に対しての拒絶の意志を示すことである。農薬の使用を減らせる遺伝子組み換え作物は有機農業とも相性がよいという宣伝に対し、オーガニックが包括するはずの文明批判の力を対置させることでもある。つまり、オーガニックは本来優しくてしなやかな反戦思想であったはずだ。
●家庭菜園から新しい世界の創造へ
 あるいは、良質な食品を選ぶ人間は、必然的に、一部の人間ばかりに富が集中する経済システムに対して勇敢なゲリラ戦を繰り広げている。もちろん、有機食品は高価である。購入できるのは「一部の人間」ばかりである。しかし、その「一部の人間」のなかの反逆者が、あるいは「一部の人間」でない人間が、それでもプランター菜園で野菜栽培を試みたり、有機農法家とコンタクトをとったりして、香りがよくて、中味がずっしりとした、けれども求めやすい野菜を選ぼうと試みることは、貪欲な企業への叛乱である。非正規雇用の実質的な定常化を狙う企業や政府は、経済成長を達成するために可能なかぎり賃金を安く留めておきたい。だから、漂白剤の使われた純白のコンビニおにぎり100円、ワンオペで働かされるスタッフが笑顔で作ってくれる牛丼270円、不純物の混ざるハンバーガー100円というのは、大企業にとってありがたい。これら安価で危険な食品は、身体に害をもたらさないという必要最低限度の食物の掟が徹底
食べること考えること
『食べること考えること』
(散文の時間)
藤原辰史【著】
2014年6月 共和国刊
285ページ
2592円(本体2400円)
注文番号
59961
注文受付:7/13〜7/18
されていないがゆえに、氾濫を続けるのである。共同購入もまた、個別の顧客に個別の商品を売りたい大規模大量生産の食品企業の世界に、楔を打ち込む行為に他ならない。
 権力者の頭をギロチン台に乗せることだけが革命ではない。武器を持って蜂起することだけが叛乱ではない。食べることを考えること、それだけでもう、あなたは新しい世界の創造の担い手なのである。
ふじはら・たつし 1976年生まれ。北海道で生まれ、島根県で育つ。現在、京都大学人文科学研究所で食や農業の思想・歴史を研究している。主な著作に『ナチスのキッチン』(水声社、河合隼雄学芸賞)、『ナチス・ドイツの有機農業』(柏書房、日本ドイツ学会奨励賞)、『カブラの冬』(人文書院)、『食べること考えること』(共和国)、『稲の大東亜共栄圏』(吉川弘文館)など。主な編著に『第一次世界大戦』(全四巻、岩波書店)。

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