よつばつうしん
2015年6月号(No.051)
視点論点

大震災、原発事故を受けて
大内信一(福島県二本松市有機農業研究会)
「よつばの学校公開講座」講演より 2015年4月18日、茨木市福祉文化会館
 

「よつばの学校」で講演する大内さん
 福島県二本松市から来ました。長く農業にたずさわっています。福島第一原発の事故はいまだ収束せず、福島ではいまでも10万人以上の人がふるさとに帰れずにいます。今日は震災と原発事故後の私たちの歩みと福島の現状についてお話しします。
 二本松市は原発から60km離れた福島県の中央部にあります。震災後、原発に近い浪江町から7000人もの人が避難して来られました。公民館や体育館が避難所になりましが、パンとおにぎりしかないと聞き、われわれも炊き出しをしました。2011年は天候に恵まれ豊作でしたので、畑にあったほうれん草をいっぱい出しましたら、「おいしい、おいしい」と食べてもらえました。ところがその後、ほうれん草と牛乳は出荷停止になってしまったのです。そのとき畑に行った私は、ほうれん草の声を聞いたような気がしました。「私たちは葉っぱをいっぱい広げて土を守ったよ」って。冬のほうれん草は葉を広げるのですが、その葉っぱで上から降ってくる放射性物質を受け止めてくれていたのです。
●作物の強さ、賢さに賭ける
 「福島で安全な作物ができるわけない。福島で有機農業なんてナンセンスだ」という声もありました。われわれは米の作付けをしていいものかどうか迷いました。土1kg当たり5000Bq以下なら栽培可能との判断が出て、二本松では栽培できたのですが、それでも20%くらい遊休農地が増えました。また、私たちは多品目栽培で消費者と結びついた宅配をしていましたが、その消費者が原発事故後は6割減りました。
 東北の農民は、それまでも冷害に苦しんできました。そして冷害のたびに作物の強さ、賢さに助けられてきました。もちろん人間もさまざまな工夫を重ね、作物の知恵と人間の知恵で冷害を克服してきたのです。今回の原発事故は自然災害とは違いますが、何かそこに生きる術があるのではないか。作物の強さ、賢さに賭けてみたいと思うようになりました。そんな思いで農業を続けています。
 原発事故後、多くの研究者が福島に駆けつけてくれました。名古屋でチェルノブイリ支援をしている河田昌東(かわたまさはる)さんもその一人です。チェルノブイリの例から、畑の作物にはセシウムを吸いやすいものとそうでないものがあることが分かっています。吸わないのはきゅうり・なす・トマト・ピーマンなどの夏野菜、そしてにんじんです。逆に吸いやすいのはナタネやひまわりなどです。にんじんが吸いにくいと聞いて、にんじんジュースに力を入れるようになりました。
 それからチェルノブイリでは、ナタネを栽培していることも教わりました。ナタネはセシウムを吸収するけれど、ナタネ油にはまったく移行しません。また、ナタネを栽培したあとに他の作物を栽培すると、その作物の検出値が下がることも知りました。外に出るな、耕すな、種をまくなと言われる中で、私たちとしては研究者からのアドヴァイスをいただきながら、あらゆる作物を作付けして、収穫して、検査して、それで判断するしかないと考えました。
 二本松に東和地区という所があります。過疎地で空いている住宅がたくさんあり、新規就農者の受け入れもしっかりしています。そこには福島でこれから有機農業をやりたいという若い人たちが震災後10人くらい来ました。16代続く私の家では息子も農業をやっていますが、どこの農村でも農業をやる若い人は少なく、息子にも農業の話ができる仲間はいませんでした。それが震災後、新規就農者とのつながりができて、一緒に勉強したり、農業の将来について語り合えるようになっています。私としてはそんな息子と仲間たちの成長に期待しています。
●地域で放射能対策、代替エネルギーに取り組む
 「福島の奇跡」といわれるように、事故後の福島は、放射線量が高いわりには作物への移行は少なかったことが明らかになっています。粘土などが作物にセシウムを吸わせない役割をするのです。とくに有機農業で堆肥が入って栄養が豊富であれば作物はセシウムを吸いません。作物にとってセシウムはおいしくないのです。放射能対策は、有機農業だからということではなく、地域のみんなでやる体制でなければならないと思います。自分の田畑だけの対策では効果が上がらないからです。また、2012年から福島県の米は全袋検査になっています。検出限界値25Bqで厳密なものではありませんが、そのあと個別の農家でさらに検査して安全性を確かめてから出荷しています。
 除染は、お金のムダ使いです。少しも農村や地域興しのためになっていません。一部の業者の一時的な利益になっているだけです。事故の反省から、脱原発や再生可能エネルギーに向かうのなら、福島も少しは癒されます。ところが現状は、目先の経済優先のまま、核燃料の最終的な処分の目途もたたないまま原発が維持されようとしています。
 それに対して、福島で電力を自給しようという動きが出てきました。会津電力という会社が作られ、太陽光発電や小水力発電が行われています。地域で電力を自給し、経済も潤そうという取り組みです。また、震災で被害を受けた土湯温泉では、地熱を利用したバイナリー発電と小水力発電が行われています。人が住めなくなった飯舘村でも太陽光発電が行われています。二本松でも農地と結びついたエネルギーとしてバイオマス発電ができないかと勉強中です。
 食用油にも取り組んでいます。食用油の自給率は1%か2%にすぎません。そして輸入原料のナタネや大豆のほとんどは遺伝子組み換えです。そこで私たちは事故後、ナタネ油や大豆油の生産を始めました。ところが、日本の大豆は味噌や納豆用に品種改良されていて油は8%しか採れません。今、残った大豆粕を味噌やしょう油にしようと研究中です。
●農地を作物や花で飾る復興へ
 ナタネやひまわりは花がきれいです。福島の復興は、農地を作物や花で飾るしかないと思うのです。それらの除染作物を作付けし、それを油の自給につなげる。また、ネオニコチノイド系農薬によって危機に陥っているミツバチのためにも、ナタネやひまわりを植えることが必要だと思います。食用にしたあとの廃油はエネルギーに利用します。農業用機械の燃料を自分の田畑でまかないたいのです。電力も電力会社に頼らず自給したいと思っています。除染作物の作付け、食用油の自給、廃油のエネルギー利用の3つを組み合わせれば、自立の方向が見えてくるのではないかと考えています。福島に自給できる地域をつくりあげることが私の夢です。
 今こそ、力を蓄えなければならない時期です。もはや世界中から食糧を集められる時代ではありません。のちの時代にエネルギーも食糧もちゃんと供給できる体制を福島からつくっていきたいと思っています。これくらいの夢がないと、福島でやってられませんからね。そういう目標を持ちながら、微力ですが励んでいこうと考えています。 (まとめ・編集部)
おおうち しんいち 1941年生まれ。有機農業。福島県二本松市在住。1956年に就農し愛農会と出会う。1970年代中頃に有機農業へ転換。1978年には二本松有機農業研究会を結成し、二本松市で有機農業を実践。消費者との連携・交流活動を続けながら、環境リサイクル運動にも取り組んできた。2011年3月11日に発生した東日本大震災と、それに伴う東京電力福島第一原子力発電所の事故後も福島にとどまり有機農業を営んでいる。

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