よつばつうしん
2015年2月号(No.047)
視点論点

〈不可能なこと〉を要求しよう
大澤真幸(社会学者)
「2014秋 よつ葉交流会」基調講演講師

今、日本人は、〈不可能なこと〉をあえて要求し、選択しなくてはならない。いや、実際、日本人は、無意識のうちに〈不可能なこと〉を求めているはずだ。
 そのことは、2009年の(民主党への)政権交替から、現在の安倍内閣の─不可解な─高支持率への、日本政治の流れの中に示されている。なぜ、あのとき、日本人の多くは、政権交替にあれほど熱狂したのだろうか。どうして、安倍内閣は、たいしたことをしていないのに─民主党政権よりも確実によいと言えるような実績はひとつもあげていないのに─比較的高い支持率を保っているのだろうか。なぜ、何も成果をあげていない安倍政権だけは、小泉内閣以降のすべての内閣が経験したある法則が成り立たないのか。ある「法則」とは、内閣発足当初はまずまずの支持率なのに、急速に支持率が低下し、一年以内に首相の交替を余儀なくされる、ということの繰り返しのことを言う。第一次安倍政権のときも、この法則の通りに、安倍首相は辞任した。しかし、第二次安倍政権からは、さして支持率が低下しないために、首相はその座を保ち得ている。どうしてだろうか。
●2009年政権交代−夢を見ていた日本人
 おそらく、2009年に政権が交替したとき、自民党を中心とした政権から民主党へと政権を交替させたとき、日本人は、一瞬、夢を見ていたのだ。「不可能なことが可能かもしれない」という夢である。そのとき、誰も、自分たちが欲している不可能なことというものが、一体、何なのか、具体的に何であるのかを分かってはいなかった。言い換えれば、政権を交替させるということが、何を変えたことになるのか、きちんと理解していた人は、当の民主党を含めて誰もいなかった。ただ、不可能なことは、現在の閉塞を打破してくれる何かであるはずだ、ということだけは期待していたはずだ。
 たとえば、普天間基地の県外移設。正直なところ、沖縄の人を別にすれば、基地の問題に対して日本人が十分な関心をもっていたとは言えない。だが、それでも、もし2010年に、民主党の鳩山首相が、普天間基地の県外移設への道を作っていれば、日本の政治は、すっかり変わっていただろう。もし県外移設が可能だということが示されれば、日本人は一つのことを納得したはずだからだ。「不可能なことが可能になるんだ!」と。米政府や米軍の意向に反して、日本人の都合で主要な(日本国内にある)米軍基地を移動させたり、廃絶したりするなど、日本人にとっては、長い間、「ありえないこと」だったからである。しかし、鳩山首相は、あっさりと普天間の県外移設を断念してしまった。

 結局、民主党政権は、一つの身も蓋もないことを証明してみせたのである。「不可能なことはやはり不可能だ」ということを、である。こうして、日本人は、民主党政権に「裏切られた」と感じたのである。3.11の津波と原発事故は、日本人を夢から醒めさせる、あまりにもけたたましい目覚まし時計になってしまった。民主党の支持率の低迷は、このことに原因がある。
●「可能なことだけが可能だ」−安倍内閣
では、その後の安倍内閣は、不可能なことが可能であることを実証してみせたのか。もちろん、そうではない。不可能なことが不可能であることを知ってしまった日本人を襲うのは、一種のシニシズムである。「どうせ可能なことだけが可能なんでしょ」と。つまり、安倍内閣が示し続けているのは、可能なことだけが可能だ、ということである。可能なことが可能だということを証明するだけ、なのだから、楽である。「どうせ夢のような経済成長なんて不可能でしょ」「可能なことは、せいぜい、気長に待っているうちに徐々に経済が上向くことでしょ」等々の感覚を日本人はもっている。安倍内閣は、実際にその通りであることを示している。
つまり、日本人の安倍内閣への支持は、消極的な支持である。日本人は、ほんとうは、不可能なことを欲している。現在の政治や経済や社会保障の行き詰まりの状況を、一挙に突破してくれるような、思いもよらない道を選択して欲しい。だが、そんなことは不可能であることはわかっている。だから、仕方がないので、安倍内閣を支持しよう。……これが現在の日本人の標準的な心理である。
その証拠は、昨年末と、その2年前の衆院選挙である。安倍内閣を誕生させ、継続させた選挙だ。獲得議席数からすると、自民党が圧勝している。しかし、投票率は異常に低い。普通は、どこかが圧勝するような選挙は、投票率が高くなる。郵政選挙で小泉自民党が勝ったときや、民主党が勝利した政権交替選挙のことを思うとよい。「圧勝」は、一般には、熱狂的な支持を示しているので、投票率を高める傾向があるのだ。しかし、このたびの安倍内閣のときには、圧勝なのに、投票率は低い。なぜかと言えば、日本の有権者は、半ばいやいやと、仕方なしに選択しているからである。
だから、ここまでの流れを追うと、次のようになる。@「不可能なことが可能だ(かもしれない)」(政権交替)。A「不可能なことは不可能である」(民主党政権)。B「可能なことだけが可能である」(安倍内閣)。AとBは、ともにトートロジー(同語反復)であり、同じくらい真実である。しかし、民主党はAゆえに支持を失い、安倍内閣はBゆえに支持されている。
●「可能なこと」に安住してはならない
だが、ここで安心してはいけない。「どうせ可能なことだけしか起こらないのでしょ」というシニシズムに開き直っていてはいけない。@からBまでの三つの文を眺めてみよ。主語と述語の組み合わせが、もう一つ、残っていることに気づくだろう。C「可能なことも不可能だ」。そうである。最低限このくらいは可能なはずだ、と想定していることでさえも、不可能かもしれないのだ。
日本人は、密かに、半ば無意識のうちに恐れていることは、まさにそのCではないだろうか。気長に待っていれば、慎ましやかな経済成長くらいは可能ではないか。いくらなんでも、最低限の年金はもらえるようになるのではないか。これ以上の経済格差は、いくらなんでも起こるまい。…こうしたことを思っているが、これらでさえも不可能なのではないか。このような不安を日本人は、われわれはもっているのではあるまいか。
われわれの先に待っている破局は、Cの命題が示している。Bに安住していたら、結局、到達することは、Cである。Cを避けるためには、われわれは頑固に〈不可能なこと〉を要求しなくてはならないのだ。
さて、なぜ、私は、こんなことを長々と書いているのか。私の昨年11月のよつ葉での講演の趣旨、関西よつ葉連絡会に期待することは、まさに、この点にあるからだ。
〈不可能なこと〉とは何だろう、と思っているだろう。それはいろいろあるが、戦後の日本にとっては、まさに「戦後」という枠組みを作っている政治状況、つまり敗戦以降の日米関係(日本の全面的な対米従属)の変更である。

<問い>の読書術

『〈問い〉の読書術』

大澤真幸【著】
2014年9月 朝日新書
352ページ
950円(本体880円)
注文番号
59565

注文受付:2/9〜2/14

先の普天間基地の例でも示したように、日米関係は、日本人にとって不変の前提になっている。
たとえば、よつ葉にとって緊急な問題であるTPP。TPPでどうするのがよいかは、ここで書かないが、少なくとも、日米関係を固定的な前提にしてしまえば、TPPで日本ができることはほんのわずかになってしまう。TPPに対して、自由で大胆な選択をなしうるためには,日米関係という前提をとりはらうしかない。私は、よつ葉の皆さんの地道な活動に、〈不可能なこと〉への頑固な要求を読み取り、期待している。

 

おおさわ・まさち 1958年長野県松本市生まれ。社会学者。専門は理論社会学。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。社会学博士。千葉大学文学部助教授、京都大学大学院人間・環境学研究科教授を歴任。著書に『虚構の時代の果て』(ちくま学芸文庫)、『ナショナリズムの由来』(講談社)、『不可能性の時代』(岩波新書)、『社会は絶えず夢を見ている』(朝日出版社)、『〈世界史〉の哲学』(講談社)など多数。『大澤真幸THINKING「O」』(左右社)主宰。



 

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