よつばつうしん
2012年12月号(NO.021)

9/22・10/20
山岡志保さん紅茶教室 新たなおいしさ発見

●紅茶教室は他でも通ったことがありましたが、山岡さんの紅茶教室は今までの教室とは全く違い驚きでした。基本的な紅茶の入れ方の講習はほぼ同じでしたが、その入れ方を何度も自分で納得のいくまで入れ直すのです。今まで自分が入れていた茶葉の量もしっかりはかることで、とてもおいしくなったり、湯の温度、量もきちんと守ることで今までと全然違った紅茶になり、とても勉強になりました。
 茶葉の産地の説明や選び方も今後茶葉を選ぶ参考になりました。先日友人を招いて、お教室で習った通りに入れて出したところ、とても香りも良く大好評でした。また機会があればぜひ参加したいです。 (池田会員 R・U)

●夏はコーヒーに牛乳や豆乳などで飲みたいのですが、秋冬になると牛乳や豆乳であたたかい紅茶が飲みたくなります。ちょうど紅茶が飲みたくなってきた時期に教室に来させていただきました。
 使った茶葉は、ノヴァのアールグレイ、パルシックのウバ、ネパリバザーロのネパール紅茶でした。おいしい入れ方はもちろんだったのですが、一見みすごして注文したことのなかったネパール紅茶は初めてで、水色が薄く開いた茶葉には緑色が混じっていて鮮々しい味に感動!! アールグレイも実は苦手だったのですが、ミルクを入れると「新たなおいしさ発見」でした。ウバは、ウバでいつもの変わらぬおいしさでした。
 おいしい紅茶をつくっていただいている方やそれに携わっている方たちに感謝してごちそうさまの一日をありがとうございました。 (阪神会員 T・S)

●今回紅茶教室に参加させていただいてすごく良かったです。
 今まで自分でいれていた紅茶が間違っていたことに気付けたこと、温度や分量などきっちりしないと香りや味が変わることなど、詳しく細かく丁寧に教えていただけたことが大変嬉しかったです。これを機にちゃんと茶葉から選んだおいしい紅茶を入れて飲みたいと思います。
(府南会員・岡田恵美)

●先日は紅茶教室に初めて参加させていただいてありがとうございました。紅茶ってティーバッグぐらいしか自分では入れていませんでしたが、奥が深くてとてもおいしくいただける秘訣を教えていただいて、勉強になりましたし、すごく楽しかったです。参加された皆さんともおしゃべりがで き、交流できて良かったです。ひとつ残念だったのは、先生が水にこだわられていなかったので、水道水よりもっとおいしくお茶をいただくのに良い水についてもお知りになるといいのになぁと思いました。 (西京都会員・山崎千賀子)

 

10/13
奈良・鶴川農園柿狩り産地交流会
柿も梨も丸かぶり!!

 大好きな割に、あまりよく知らない柿と梨。奈良は吉野の鶴川農園さんのところに、柿狩りと梨狩りという、夢のような交流会に参加してきました。

 鶴川農園さんは、有機肥料で柿や梨を育てていて、除草剤も使っていないので梨の木の下は、クローバーやたんぽぽなど雑草でふかふか。コオロギやバッタがたくさんいて、木から落ちた梨を食べていました。ここのコオロギはしあわせ者です。
 楽しかったのは、梨はハサミを使わないで下からキュッとねじりながら持ち上げると簡単にとれるんです。だからこそ、台風が来たら全滅することもあるそう。収穫期と台風のシーズンが重なるから、大変な話です。
 もぎたての梨は、それでなくてもジューシーな梨ですが、果汁が滴り落ちるほど! いくつでも食べれてしまうおいしさでした。
 柿は刀根早生という渋柿を渋抜きします。園児でもハサミで摘める高さに、たわわに実った柿。猪が食べにきて、前足使って枝を折ってしまうらしく、所々に柿の実がついている枝が落ちていました。
 8万枚ほどの袋を一つひとつ実にかけ、一年をかけて大事に育てられた梨。炭酸ガスを使って、何日かかけて渋抜きをされた柿。猪避けの電柵やカラス避けの鉄砲の音。そして害虫。最近の農業はとてもお金がかかる、という話でしたがおいしい柿や梨が一つができるのにも、いろんな苦労があることがよくわかりました。
 子どもたちが梨も柿も皮ごと丸かぶりしていましたが、そんなことができるのも、苦労しながら果物を育ててくれている生産者の皆さんのおかげです。いろんなことがわかって食べた梨は、また格別のおいしさです。ありがとうございました。 (西京都会員・岩井政恵)


読書クラブ会員―わたしのオススメ
『生命をめぐる対話』
多田富雄【著】 ちくま文庫
2012年9月 筑摩書房 文庫 327ページ 819円(税込)
『ライフ』520号でご注文ください(注文番号63012)
評者:岡田佳子(東大阪会員)

これは国際的な免疫学者V.S異分野の専門家11人の「対談」集なのだけれど、タイトルにあるように「対話」と名付けるのがふさわしいと感じられた。そこには「単に二人で話をする」以上の深さと広がりがあり、意味の共有化がごく自然に発生していて、その愉しくかつ知的な空気が読み手にもいきいきと伝わってくる。
 対話者は作家・能楽師・ジャーナリスト、そし て学者・研究者といった面々。著者は能を嗜み、優れた文筆家でもある。今回、多くはその著書「生命の意味論」を軸にしての対談だったそうで、切り口が免疫など生物学中心である場合も多々あり、専門用語が飛び交うページも。けれどもなぜか難解な印象はなく(もちろん正確に理解したわけではないのだが『わかった』のだ)、対話の中で触れられている理科系と文科系を区別しないほうがいい、という著者の発想は正解なのだろう、と思ったりした。「生命」の本質を探ろうとするならば、物質の分析だけでは終わらないに違いない。あいまいさの中に真理が含まれる、だなんて理科の授業では習わなかったけれど、生きている私はあいまいさに満ちている。あいまいさはきっとたぶん私の脳の仕業で、その脳は細胞の集まりに過ぎないのにコンピュータでは真似が…計算ができない働きをする。このあたりの内容は生命誌の中村桂子氏や解剖学の養老孟司氏との対話とリンクするが、どちらも非常にエキサイティング! いま哲学に必要なのは生命全体を考える生物学なのだ、と納得。そこでまた別の対話を読むと新しい気付きがあったりして、あまり間を置かずに3回読んだ。何度も繰り返し読みたくなる対談集はこれがはじめてである。秋の夜長に最適な一冊。
(余談ながら養老氏とのそれを読んで「ドグラ・マグラ」を再読したくなりました)。