よつばつうしん
2011年7月号(NO.004)

山梨の桃のおいしさを伝えたい
穂坂中央果実組合

 山梨で桃を作っています斉藤です。
 関東の人の山梨県のイメージはと聞くと、果物、特に桃、次にぶどうです。関西の人は、富士山、ぶどう、ワイン、と桃のイメージはなく、桃は岡山県だそうです。実際の生産量は、ぶどう、すももとともに山梨が日本一なのです。
 その山梨で私が栽培している韮崎は、北部に位置し、南は富士山、北は八ヶ岳連峰、西は南アルプス連峰と四方を山に囲まれ、特に南アルプス連峰から湧き出るミネラル豊富な水が地下水に流れ、桃や米栽培に多大な恩恵を受けています。
 気候風土に恵まれた桃作りに、あとは一年を通しての作業が重要になります。10月頃から土作り、11月から2月にかけ、余分な枝を切り、常に太陽が当たるようにする作業、次に10年生の樹で2万〜3万の花が咲きます。でも最終的に400〜500個しか付けない

斉藤さんご夫妻
ので、2月から蕾、4月から花、5月から小さい実を少しずつ落とし、最後ピンポン玉ぐらいになったところで、形の悪いものやキズのあるものを落として袋かけをします。
 3000坪の面積に、7月上旬から食べられる日川白鳳から8月上旬の一宮白桃まで、10品種を作っています。おいしい桃を作るのに手間ひまかかるのは当然ですが、食の安心・安全はもちろん、化学肥料を少なく有機質肥料を使っていく農業に取り組むエコファーマーの認定を受け、さらにおいしい桃作りを目指しています。(斉藤一成)

発足して2年、地域に溶け込み東別院の農家組織「丹波会」と合流
別院協同農場

 関西よつ葉連絡会の生産工場や物流拠点、地場野菜生産地である東別院町では、若い人たちは近くの市街地に勤め地域の農業を支えているのはほとんどが70歳から80歳の高齢者です。それ故近年、休耕地が増えてきており、2年前に地元の衰退していく地域農業を下支えしていこうと農業生産法人兜ハ院協同農場を立ち上げました。
 まず取り組んだのはそういった耕作放棄地や休耕地を借り入れ、大豆や小麦などの穀物を中心に栽培を始めることでした。加えてそれらの穀物を材料によつ葉の生産工場で納豆やパン、豆腐を作る試みもはじめています。
 画期的なのは昨年の10月に、15年以上前から地元で農家を組織しよつ葉に地場野菜を納めている「丹波会」と合流したことです。それにより組合員が30人を越える大きな農業生産法人になり、高齢化していく農家が共に支えあう組織として発展しました。
 また発足して2年、農作業を通じて組合に加入していない農家ともより良い関係を持つことができつつあり、地域の様々な問題に協同して取り組んでいける組織基盤ができつつあると感じています。(横山茂幸)


定例会で

右端が横山さん


藤間一正(藤間農園)

 柿農家になって4年になります。ただし、最初の1年は柿の木を植えただけです。ですから、柿農家らしく仕事をしたのは、3年前3反の成園(柿が収穫できる園)を借りてからということになり実質3年です。
 この3年で、農業というものは経験を積むということが大切だとつくづく思いました。1年に1度、しかも毎年気候が違います。私は農業の経験はほとんどありません。出雲に帰る前に短期間ですが高槻農産で働かしてもらいました。柿とは直接関係ありませんが、この経験が有るのと無いのとでは大違いだったと思います。
 私が柿を作っている所は、西条柿の産地で、県、市、農協、が力を合わせて柿農家を支援しています。そのようなバックアップがあっても、経験の無い者は経験の無い者なのです。確信とか、自信とかは、経験をすること以外からは産まれてきません。
 一番苦労したのが剪定でした。講習会にも何回も参加して、何人もの人に指導してもらいました。しかし、いざやってみると、どの枝を切ってどの枝を残すか、なかなか判断がつきません。1日3本の剪定をしたら頭がふらふらで遅々として作業が進みません。見兼ねた近所の人が「失敗してもまた枝は生えて来るから」と手本をやって見せてくれるのですが、それでも考え込んでしまいます。
 普通、節分までに終える作業が、3月を過ぎ4月に。要領が解ってきたのは「どうにでもなれ」と居直ってからでした。この年から新たに3反の園を借りていたので、計6反の剪定をし終えたのは5月になろうとしている頃でした。
 剪定の善し悪しは、収量となって表れるそうです。この年の収量は8トン、悪くはないが良いとは言えない収量だそうです。いずれにしても、この剪定をやり終えて、やっと柿作りの1年の作業が一巡したことになり、自分の中に一定の目安ができ上がりました。ちなみに、今年2度目の剪定は、3月には余裕を持って終わることができました。
 母の病気のため突然に始まった農業。3年やって未だ業として成り立っていません。昨年は、干し柿にラッキョウ漬けと農産加工にチャレンジ、それなりの成果を得ることができました。が、今は、それをやる作業場の確保に四苦八苦しています。
 ゼロからの農業は解決しなければならないことがたくさん待っているようです。