よつばつうしん
2011年6月号(NO.003)

チェルノブイリ25年京都の集い(講演要旨)
チェルノブイリ25年―語り継ぐ地球ヒバク

●主催/チェルノブイリ25年京都実行委員会 4月24日・京都YWCAホール
●講師/今中哲二さん(京都大学原子炉実験所)

 1986年にチェルノブイリ原発事故が起こってから、現地の人たちは「チェルノブイリ前」と「チェルノブイリ後」で時代が変わったという言い方をしています。今は彼らの気持ちがわかる気がしています。私たちも「福島前」の時代から「福島後」の時代へ入ったのだと思います。

エネルギーと幸せ

 私は50年に広島で産まれました。その頃の下町には路地があって、木造の家が並んでいて、子どもたちは道路で遊んでいました。貧しくてテレビも冷蔵庫もありませんでした。しかし、充実した子ども時代でした。いい時代を過ごしたと思っています。人の幸せとエネルギーの量は関係がないということを、まず確認しておきたいと思います。
 私の歴史認識では、日本のエネルギー政策は明治以来の富国強兵政策の延長線上にあります。大学が賑やかだった69年に入学した私の価値観だと70年あたりで物質的な成長はもう十分だ、ということになるのですが、大量生産・大量消費の流れの中でエネルギー消費は増え続けました。そしてそれをずっと続けていこうというのが原子力を推進する思想なのだ思います。
 「原発安全神話」が吹き飛んだと言われています。しかし、神話は79年のスリーマイル事故ですでに崩壊していました。このときに私は理論的に想定される大事故が起こり得るものと確信しました。
 そして86年、チェルノブイリで事故は実際に起きました。私たちは現地調査に行き、そこで一旦事故が起きてしまうと放射能汚染や被曝の問題にとどまらず、村や町がまるごとなくなってしまうということを目の当たりにしました。

チェルノブイリに学ぶ

 原発の事故には大きく分けて2つのタイプがあります。(1)原子炉の冷却に失敗、(2)核分裂の制御に失敗、の2つです。チェルノブイリは(2)、スリーマイルと福島は(1)のタイプです。チェルノブイリでは原子炉が出力暴走を起して爆発炎上しました。その時点でほとんどの放射性物質は外に出てしまいました。汚染の実態はソビエト連邦が末期に近づいた89年頃から明るみに出てきます。実態を知って驚いたのはセシウム137が上空を数百キロメートルも移動し、たまたま雨が降った所で高濃度に地上を汚染していたことです。
 原発事故ではいろんな放射能がでますが、長期的にみて問題なのはセシウム137です。半減期は30年です。向こうの法令で定められた汚染地域と移住地域の面積を日本に当てはめると、前者は本州の約6割、後者は福井県・京都府・大阪府を合わせたくらいです。汚染地域には600万人が暮らしているという大変な数字になります。
 短期的には半減期の短いヨウ素131が問題です。これを取り込むと、特に子どもの甲状腺が集中的に被曝し、何年か経つと甲状腺ガンになる子がでてきます。子どもの甲状腺ガンは珍しい病気で、人口1千万人のベラルーシでは年間1例ほどの発症でした。それが事故の4年後くらいから増え始め、多い年は100人を超えました。影響はロシアやウクライナも含めて今も続いています。

事故にまつわる「怪」

 事故対応で疑問に思っていることがいくつもあります。たとえば12日に避難区域を20キロメートルまで広げたのは、誰がどう判断して決めていたのか? そのうち3号炉の建屋が吹っ飛び、2号炉の格納容器の一部が壊れ、4号炉の使用済み核燃料プールで水素爆発が起きました。もう最悪の事態です。ところがまだ「レベル5」だとか「スリーマイル程度」だとか言っている。私はこのころから政府も東電も今何が起きているのかよくわかっていないのだと思い始めました。
 他にも奇奇怪怪がたくさんあります。その一つが文部科学省のスピーディ(SPEEDI:緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)のデータが出てこなかったこと。このシステムは今回のようなときのために設置されているのですから、私はこれを「SPEEDIの怪」と言っています。あと「周辺モニタリングデータの怪」。マスコミは放射線量が増えていると騒ぐものの、出てくる数字は原発の敷地境界のデータばかりで、肝心の汚染地域のデータは全く出てきませんでした。さらに、「外部電源復旧の怪」。事故後、すぐにでも始めるべき外部電源復旧工事は、なぜか5・6日経ってからやっと始められました…などなど。
 事故後に流布されている「怪説」にも触れておくと、「ただちに健康に影響のある量ではありません」と言い、「胸部レントゲン」や「CTスキャン」の被曝量を例に出して「心配ない」と言う。一時に大量の放射線をあびる「急性障害」と被曝後何年も経って現れるガン・白血病などの「晩発性障害」を区別するという基本を無視しています。

「計画避難」の飯舘村で

 私は20キロ圏内を調査したかったのですが、事情があって飯舘村に入りました。この村では30マイクロシーベルト/hという高い放射線量が計測され、「計画的避難区域」に指定されました。これが良いことなのか私には分かりません。村は20キロの避難命令の適用外で、大変だったけれども自分で判断できる余地がありました。それが計画避難に組み込まれると村は直接政府の管理下におかれます。村長さんは苦しい立場にあるだろうと思います。
 福島とチェルノブイリの汚染の規模は、ほぼ同じだと思います。つまり、私たちはこの事故によって放射能汚染と向き合わざるを得ない時代に入ったのです。
 和牛の産地として知られる飯舘村はとてもいい所でした。私はまた放射能を浴びに行こうと思っています。これからどうするのかは政府任せにするのではなくて、村の人と牛肉を食べる人とが、それぞれの判断で了解しながら食べていかなくてはなりません。そのとき、どのくらい食べれば、どのくらいの被曝になるのかを示すのはわれわれの仕事です。食べるかどうかは結局皆さんの判断です。その判断がそれぞれに問われる時代に入りました。もう原発は止めにしましょう。(まとめ/編集部・下村)


今中哲二さんプロフィール
チェルノブイリ原発事故の放射能災害研究の第一人者。現地調査や住民との交流、各国の専門家との共同研究に関わる。事故直後、8000km離れた日本での放射能濃度測定を行った。このとき関西よつ葉連絡会では、よつ葉牛乳の測定をお願いし、5月14日製造乳からヨウ素131が23ピコキューリ検出されたことを『ひこばえ通信』で公表した。

チェルノブイリ原発事故による牛乳の放射能汚染を報じ、今中さんへのインタビューを掲載した本紙の前身『ひこばえ通信』38号(1986年6月号)。