ひこばえ通信
2010年12月号(第293号)


佐久間智子(特活NPO法人アジア太平洋資料センター理事、
女子栄養大学非常勤講師)
第3回 里山保全を考える

 先月名古屋で開かれた生物多様性の会議で、議長国・日本は熱心に里山保全を訴えた。国内の絶滅危惧種の49%は里山に棲息しているからだ。
 里山の荒廃は50年代以降の農林業の変化によるものだ。農業の変化は60年代、それまで多様な作物を育ててきた農家が、それぞれに米だけ、特定の野菜や果物だけ、あるいは養鶏・酪農・畜産だけに特化し、事業(農地)規模拡大を奨励されたことで始まった。
 それ以前の日本の農業は、いわゆる「有畜複合農業」で、多くの農家が牛一頭を大切に飼っていたという。近山の草で牛を養い、その牛に農地を耕させ、糞尿からはワラと落ち葉を混ぜて堆肥を作る。今で言う「循環型農業」だ。田んぼには夏に米、冬に麦を植え、畦では大豆を育てた。山からは木の実、キノコ、山菜だけでなく、薪炭材を切り出してエネルギーも自給した。さまざまな保存食、カゴ、蓑、わらじ、着物なども自前だ。家屋だって村総出でつくった。
 今や蔑称とされる「百姓」という言葉も、「百の家業」、つまりは、生活のあらゆる必需品を自らの働きで生み出すことができる人々を意味していたと言われる。
 当時の里山の様子を映した貴重な写真を見たことがある。映っていたのは、驚くほどに開けた印象を与える、明るい里山だった。それもそのはずで、人里の周辺には森がない。もっとも近い山は草地、その後ろの山は薪炭材用の細い低木の林。その背後に広葉樹からなる奥山が連なる。人々は、そういう環境を、日々の作業と定期的な火入れによって維持し、利用してきた。
 だがそれも、戦後急増する木材需要を満たすために杉や桧を植え始める以前のこと。薪炭材が化石燃料に、堆肥が化学肥料に置き換えらえる前の姿である。今や日本の森の4割が針葉樹の人工林に置き換えられたが、今度は安い輸入材に押されて国内の林業が成り立たなくなった。広葉樹林よりも水源涵養力(自然の保水力)が低い針葉樹林が、間伐も枝打ちもされずに放置され、洪水を引き起こすようになった。里山は真っ暗な人工林、増殖する竹林、耕作放棄地に包囲され、山から川や海に栄養が届かなくなったことが漁業をも駄目にした。
 だからと言って、使ってもらえない木材や、食べてもらえない食べ物を手間暇かけて生産して里山を維持してくれる人などいるわけもない。補助金を使って人工林や田畑を維持するとなれば、莫大な補助金が要る。現実的なのは、里山を原初の照葉樹林に戻して下流の環境を守ることだが、それは今後の私たちの生活の一切を輸入に依存すると覚悟することでもある。それが嫌なら、週末だけでも百姓見習い、木こり見習いになるしかないのではないだろうか。