ひこばえ通信
2010年5月号(第286号)


第11回:マッカーサーとレタスとサラダ

 まず前回の続きから。
 江戸時代の町を語る時忘れてはならないのは、その清潔さです。幕末から明治初期にかけて来日した欧米人が一様に感嘆しています。当時の江戸に住んでいた百万の人々のし尿はすべて周辺の農民によって収集され、肥料として農地に還元されました。しかもお金を払ったのは農民の側です。長屋の八つぁん、熊さんが家賃を払ってくれなくても、共同便所のし尿を売ることで大家さんにお金がもたらされました。周辺の農地の生産力があがり、それが江戸の人々の腹を満たしてくれました。
 同じ時期、18世紀末のフランス革命の頃のヴェルサイユ宮殿にはトイレがありませんでした。庭で用を足していたようです。当時の女性のつり鐘の様なスカートは、立って用を足すためのものという説もあります。オスカルがどうしていたかは知りません。また、お風呂にも入りませんから、人も庭も部屋の中も、結構くさかったのではないでしょうか。そこで香水が発達しました。一方で、ペストやコレラが流行し、都市住民を苦しめました。下水道が整備されるのはもっと後です。
 時が移って1945年。戦争に負けた日本に占領軍がやってきます。総司令官のマッカーサーは兵士とその家族の食用として、東京周辺の農民にレタスの栽培を依頼します。これが日本で最初のレタスとなります。どこへ行っても自分たちの生活スタイル(アムウェイ)を貫くのにはちょっと驚きます。頼まれた農民の方も初めてのこととはいえ立派なレタスを作って応えます。ただし、ひとつ問題が発生します。江戸時代以来続けられてきた有機農法に対して「不衛生だ。化学肥料を使え」とクレームがつきました。農民側は受け入れ、マッカーサーのヨメさんも視察に行きOKサインを出したそうです。
 戦後、有機肥料はすたれ、化学肥料が多用される様になりました。増産のためばかりでなく、「化学肥料は衛生的」という間違った考えも大きく作用しました。40年前にはまだ「清浄野菜」という言葉が巾をきかせていて、「汚い有機肥料を使わないキレイな野菜」という意味で使われました。私たちがよつ葉の会を始めた頃は「有機野菜は食べたいが、衛生面は大丈夫ですか」という質問をよく受けました。
 マッカーサーがレタスにこだわったのは、彼らにとって非常に大事な野菜だからです。当時、占領軍が復活祭の日に帝国ホテルで開いたパーティでも、レタスのサラダがメニューに加えられたことが記録に残っています。そもそも彼らはほとんど野菜を食べません。ドイツやイギリスなど北部ヨーロッパは寒すぎて野菜ができません。そのかわりとして牛乳を飲みます。牛のお母さんがせっせせっせと草(野菜)を食べて、必要な栄養素をすべておっぱいに込めて子育てをします。その仔牛をお母さんから無理矢理引き離し、栄養たっぷりのおっぱいを横取しているわけです。ヨーロッパのこの食文化はアメリカにもひきつがれました。
 サラダという食べものは、野菜を食べない人に何とか食べさせようというたぐいのものに思えます。野菜はどんな野菜も火を通すことによって(それで消化作用が一段階すすむのですが)うま味と甘味が増します。例えば、玉ネギは切る時には涙が出るほどトゲトゲしいのに、火を入れることで実に甘いものになります。レタスもそうです。いちどミソ汁に入れてみてください。これがレタスかというような味になります。ところが、料理を知らない、マナ板もないということになれば、レタスを生で、しかも手でちぎって、そのかわりこってりとした味のドレッシングで食べてもらおうということでしょう。
 動物は植物を食べることで生きています。動物のなかで、火を使えるのは人間だけです。