ひこばえ通信
2008年9月号(第266号)

山形から 生産者自己紹介
思いが伝われば帰ってくる
おきたま興農舎・小林 亮

1989年、年の瀬せまる12月27日、山形県南部―3市5町からなる置賜地方で、青年団や農協青年部などで青年運動を共にした友人11名で設立したのが「おきたま興農舎」。
 なけなしの持ち寄った総額300万円を原資として、中古プレハブを改造した12坪の粗末な建物に電話・FAX各1台・ガスコンロ1台…それが全てでした。平均年令40才、取引先見込み0。
 ただひたすらに 〜このままでは農村が崩壊してしまう。何とかしなくては〜 の一念が、あてのない旅の始まりでした。

私たちが食べたいものを食べていただきたい

 工業製品輸出の増大は、農産物の大量輸入を招き、農村の食生活も激変、米余り現象は20年にも及び、農産物全般が価格下落の徴候をみせていました。当然、後継者を育てる訳もなく、むしろ若い人材は都市へ、他産業へと流失していくこととなりました。
 人は減り、田畑は残り、価格は下がる。ここでお決まりの規模拡大・コスト削減路線がもてはやされました。狭い耕地に大型機械と化学肥料・農薬の大量投与。「チッソ」や「川崎」、古くは「足尾銅山」の悲劇を全国の農村で再現するかの如き愚挙を繰り広げたのです。
 健康な生活の源であるはずの食が、工業製品並みの粗製乱造…。田舎社会にかつてなかった「皮膚科」や「心療内科」が激増し、妊娠初期の流産が多発している現実をみるとき、未来への大きな危惧を覚えました。それ故に、無農薬や特別栽培への転換を実現したのです。
 私たちは、特別な事に取り組んでいるつもりはありません。私たち自身が食べたいと思う食べものを作り育て、自らも食し、消費者の皆さんにも同じものを食べていただく、そのことで健康な生活が実感され、作物固有の味や香りを堪能していただければ本当に嬉しく思います。さらに、その思いが、一人でも多くの人に伝わった時、一人また一人と「むら」に若者が帰ってくると信じています。GM作物や六ヶ所村の核燃リサイクル施設等…難題も抱えてはいますが、あきらめることなく進むほかはありません。

▲お米の生産者・吉田陽子さん。
稲刈りのあとは「杭がけ」で自然乾燥。
 「おきたま興農舎」は、町村合併(1954年)前は亀岡村〜日本三文殊の一つ、亀岡文殊に由来する地域〜にあり、千二百年前は文殊村と称していました。物流センターやよつば農産など、よつ葉各社が集中しているのも亀岡市。不思議なご縁を感じています。
 横穴洞窟に石器や土器―いにしえの香り高いこの地は、四十数年前、「東北のたかまが原」として紙上を賑わしたものでした。おいでの節は、田畑は勿論、史跡もご案内いたします。