物価高騰―迫られる生活の見直し(水産編) 鷲尾圭司(京都精華大学) 私たちが魚を食べ続けるためには 日本はかつて世界一の水産大国でした。ところが今では漁業生産量はピーク時の半分、漁業者は5分の1、消費量の半分近くを輸入に頼っています。しかも近年は日本の輸入業者が買い負けし、その輸入さえおぼつかなくなってきました。そこに押し寄せたのが「出漁すればするほど赤字」の燃料高騰です。政府が燃料費補填を決定し「3割の漁師が廃業しかねない」事態は避けられたものの、他方では乱獲による資源の枯渇も懸念されています。そんな中で、旬の魚とともにあった私たちの食文化や、次世代に残すべき共有財産である海をどう守っていくのか。05年まで本紙に「海からの便り」を連載してくださっていた鷲尾圭司さんに暮らしの視点から提起していただきました。(編集部・下村) |
採算割れ・販売不振 漁業が追い込まれているのは燃料代などの経費だけではない。輸入食料品に押されて、水産物の販売自身が不振を極めているからだ。いや、人によっては回転寿司の盛況や、グルメなマグロのブーム、スーパーの刺身コーナーの賑わいなどあって、魚離れなんてないように感じておられる方もいるかも知れない。しかし、そんな賑わう風景の中に問題は潜んでいる。 便利さの代わりに何を失ったのか 投機の対象にならないものは、保存性がなく、その価値を限られた人しか認めないようなものだ。夏の瀬戸内海の五目釣りの獲物のようなものだ。小さな磯魚は、冷凍しておいても小骨が多くて、誰でもが食べてくれるものではない。釣りを楽しみ、それの鮮度を生かして工夫して食べる。顔と顔のつながった利用だから、話の通じる人びとの間では価値を持つ。しかし、ものとしての魚だけトロ箱に並べられて出荷しても、魚屋さんさえ扱ってはくれない。 問われる意識ある消費 日本は自給率が低下して問題になっている。自給率が足りないなら生産側ががんばればよいのだと、農業や漁業に目が向けられる。しかし、本当は生産されても買い物の対象として流通して行かない生産物が多いのだ。曲がったキュウリや色とりどりな魚たちだ。効率的な販売に適さず、考えない消費者に目も向けられない産物だ。 |
鷲尾圭司さん講演録 |
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