ひこばえ通信
2004年8月号(第217号)

母が乳がんになったら(1)
☆神戸市のK・M

 今年の四月、母が乳がんの摘出手術をすることになった。
 病気とは一切無縁、入院など一度もなかった母なので、かなり落ちこんでいたが、母に頼りきりだった父の動揺と憔悴も、はためからは痛々しかった。
 わきにできた打ちみのようなアザが、がんだった。近所の医者は「打撲のあとだから消えるよ」といい、そのとおり、消えたらしい。しかしまたアザができ、しかも押すとゴツゴツしたものがある。ちょうど、市の乳がん検診があり、受けてみると、「要精密検査」それも「できるだけ早く」という助言つきであったそうだ。
 口コミで知った一駅先の開業医のもとへ駆けこみ、マンモグラフィーとX線検査、触診をうけ、「がん。それも早期ではないがん」と診断、総合病院の外科を紹介された。
 病室が空くのを二週間待って、母はがん病棟に入院した。
 翌日には手術、五日後退院と、パック旅行のような日程表が置いてあり、あらゆることが患者のニーズにそってシステム化されており、見舞うわたしも驚いた。アメリカの大病院(テレビでしか知らないが)のようだった。
 手術直後に家族がよばれ、にぎりこぶしくらいの摘出ブツをみせてもらった。父は怖がって見るのを拒否。実際のがんの部分は小さいのだが、多めに切除しているとのこと。
 手術直後の傷あとは、あじのぜいごのようであった。乳房のカワが風になびいてピンピラリンという感じ。それを見たわたしは、恐怖感(こんな目にあいたくない!)から、翌日、別の病院の乳腺外来に飛び込み、マンモグラフィと触診、ついでに子宮がん検診も受けた。母も大事だが、自分も大事。マンモグラフィは、乳房を文庫本の厚さ(それも薄くて安い)に延ばして、撮影する。脇の肉までむりやり入れ込むので、結構痛かった。

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