2004年8月号(第217号)

大豆について考える
大豆契約栽培を進めています
京都養鶏見学会 子どもたちの質問を通して
野良仕事のひとりごと
まずは、土づくりから 中西農園・中西康二
会員取材レポート 芦浜産直出荷組合
ぐるーぷ自己紹介 ハーモニーきょうと
母が乳がんになったら(1)
暮らしからの政治(2)
共済だより 『第4期奈良ヘルパー講座(元気に)開催中 』
賞味期限表示を考える
海からの便り 第11回 藻場を考える……その1



大豆について考える
安全食品事業協同組合・鈴木伸明

  さまざまな伝統的食品の原料となる大豆は、私たちの食生活の中で米についで重要な作物と言えるでしょう。ところが、そのほとんどを輸入に頼っている現状があります。戦後、食の欧米化政策で、台所からも学校給食からも「ごはんとみそ汁」が排斥されました。戦後の栄養改善運動の問題点が指摘され、伝統食見直しの機運が高まった最近になって、「なんだ、それなら『ごはんとみそ汁』でよかったんじゃないの」と思ったときには、米は減反につぐ減反から輸入米も含めた市場競争へ、大豆は九五%が輸入で、その大半が遺伝子組み換えという現状になっていて、国産の存続そのものが危惧されています。こうした大豆の現状と課題について安全食品事業協同組合の鈴木さん、よつ葉の大豆契約栽培への取り組みについて別院食品の松本さんに報告していただきました。


 今、大豆について、あれこれと想いをめぐらすことは、これからの「食」のこと、農業のこと、はては私たちの社会の明日を考える上で、大変示唆に富んでいるように思える。
 伝統的な素材である大豆。そのまま食べる。また様々に食品に加工される。大豆粕は飼料としても重宝される。私たちの食卓に欠かせない食材である。

九五%が輸入大豆 大半は遺伝子組み換え

しかし、この大豆は一度国内ではほとんど生産されなくなったことがある。種さえ一旦は消えてしまったとも言われている。米などに比べて、生産性が低いなどの理由で作られなくなったという。今は、米を作るな、という愚策のおかげで、転作奨励金(昨年政策が大幅に変更、今までの奨励金はなくなった)が支給されて、全体の消費量の五%ぐらいまで回復したとのこと。九五%は今でも輸入ということになる。輸入の大半はアメリカからである。しかも、その八〇%以上が遺伝子組み換え大豆である。
種子はあの悪名高きモンサント社のもの。モンサントは一化学企業というより、アメリカの国策軍需企業で、世界の食糧支配を画策する会社である。ベトナム戦争の際、大量に撒かれた枯葉剤、猛毒のPCBを作った企業でもある。こんなどうしようもない企業によって作られた大豆を、知らないうちに、私たちは食べさせられていることになる。
伝統的な食文化、食材と言いながら、ほとんどが輸入に頼っていることに、余り奇異に感じないのが、今の私たちの社会である。実際のところ、食文化などは、とっくに崩壊してしまっている。
食の根っこを失い、かつての地域社会が崩壊したことに伴って、食はなんでもありのなんにもないものになった。金で買う文化などと言うものはないし、また人々の生活と離れて生まれ育まれることなどあり得ない。

手段にされた人と自然の営み


能勢農場の畑。今年初めて大豆作りにトライ

播種後2週間目のエンレイ種

食べるために作るということと売るために作るというのは大きな違いがある。かつての私たちの社会は食べるために大豆をつくっていた。欠かせないものだから作った。米作りと一緒に、畦豆とも言われる、畦に種を撒き、大豆を育てた。三、四〇年前までは農家では普通のことだった。
収穫した大豆は、私が育ったところでは、年が明けて、隣近所の人と一緒に大きな釜で、夜を徹して火の番をしながら、焼き芋をおやつ代わりにしながら、豆を煮る。味噌作りの準備である。変わらぬ楽しい年中行事の一つであった。それは、当時の私たちの生活そのものだった。
また大豆は地域適合性の狭い作物で、各地で作られる大豆の品種は様々。その加工の仕方、味も実に多様であった。我が家の味噌がいちばんおいしい!「手前味噌」である。
「経済の発展」とともに、次第に食べるためではなく、売るためにしか作らないようになっていく。売ることが目的の生産は、いかに利益を上げるかが最大の関心事で、生産性とか効率性がなによりも問題になる。
それは、生産行為が、単にカネを稼ぐ手段でしかなくなり、人々の生活から離れていく過程でもある。売らんがための嘘、方便、ごまかしが横行し、食品添加物や農薬がふんだんに使われるようになった。様々な食品公害等が急激に発生した理由であり、モンサントのような悪徳企業にいとも簡単につけこまれた原因である。
高度成長時に加速し始めたこの流れは、基本的に変わっていないばかりか、ますますひどい状況になっていると考える。少し前までは、主食である米だけは守っていくと言う政策があったが、二一世紀になってそれもなくなった。少し違うのは、「食の安全性」が「商品の特性」として、注目されるようになったこと位のこと。「選択」の問題に過ぎないのである。
しかし、農業を大事にするということは、「選択」の問題ではなく、「生き方」の問題だと考える。社会のあり方の問題とも言い換えることができる。食の生産は車などの工業製品と同列にされること自体がおかしい。命の糧である農作物は基本的には自然の営みによって生み出されるもの、人はわずかに手を加えるだけだ。
とりあえず、私たちも今年から大豆を作ってみることにした。どんな苦労があるのか? 作ってみないとわからない。わずかばかりであれ、復活した大豆生産が、補助金がなくなって、また消えてしまわないようにと、心から願うばかりである。
二面に関連記事