関西よつ葉連絡会ニュース
2009年11月号(NO.10)

「食と農」のことにあれこれ想いをめぐらす


▲産業革命当時のイギリス

 地域アソシエーション研究所の場で「農研究会」を有志で細々とやっております。
 今後の私たちの仕事・社会への向き合い方などを考えていくひとつの手立てとして、食と農の課題を社会全体の中で、他のさまざまな事柄との関連で把握しようと進めている作業です。日々、マスコミ等で報道される議論とは随分距離があって、馴染みにくいは思いますが、なにかの役に立てば幸いと考え、私たちの議論の内容を記すことにしました。課題を列挙する程度ですが、皆さまからの批判・指摘を期待するものです。(文責 農研究会・鈴木 伸明)

「今の時代」の理解には三世代程度の歴史的時間幅で
 食と農の問題を社会全体、その歴史の歩みの中で、認識する必要があるということ。今の出来事だけ見ていてもなにも見えない。少なくとも「歴史時間」としては江戸時代ぐらいから今に至る時間幅が必要。一番短い時間としても、「高度成長期」の前と後との落差の大きさを認識する程度の幅が必要と考えています。
 農業と工業の問題は資本主義と政治の問題抜きに考えることも不可能。都市と農漁村の問題はひとつの問題。表裏の関係にある。都市の「成長」と農漁村の「衰退」。消費者(都市生活者)と一次生産者(農漁村生活者)の問題も同様。都市の「成長」は人々を土地から切り離すことで多大な利益を生む工業中心の社会形成が意図してすすめられた結果。自然と社会の物質代謝の問題として、「大地からの疎外こそが資本主義の究極的な基盤であり、前提条件であった。」(マルクス)
 「働くことと生活することがまったく切り離されているところに、非人間的な社会ができている原因があるのではないか。」(守田 志郎)
 資本主義的な生産においては「利益」と呼ばれるものは「人の労働」が生み出す。人が関る度合いが大きいほど大きな「利益」を生み出す。その観点からみると、農漁業など自然に関るものは人の関与は工業に比べ圧倒的に少なく、大事にされなかった大きな理由。
 資本主義的な農業、生産の効率化などと工業生産と同じ発想で農業を扱うこと事態がそもそも「科学的な態度」ではない。世界を見渡せば、農業をそのような考え方ですすめる強大な支配力を持つ企業群が、短期的かつ収益の最大化を図ってすすめられる生産とその生産思想が拡大していくとしたら未来は不毛の時代とならざるを得ない。土壌栄養分の収奪が終わり放棄される土地が砂漠化する場合も多く見られる。過去の幾多の文明が滅びたことと無関係ではない。
 「もし外的な障壁に遭遇することがなければ、シダは地球全体を覆ってしまう。再生産は生えるための場所がなくなった時に初めて止まるだろう」
 「諸現象はそのための諸条件が回帰し同じ状態を維持する場合にのみ永続しうる。」(補充の法則リービッヒ)
 金融、果ては命そのものまでが資本主義的な市場となるなど生き延びる道が「創造」されていっているが、実際的には、資本主義の仕組みはもう限界に来ている。負の拡大再生産といえる現象のほうが目に付く。
 「進歩とは死滅に向かう道」でもあるようである。発展史観を疑う必要がある。進歩とか発展という言葉はかなりイデオロギー的な異臭がする。地球は人間だけのものではない。生態系を大きく撹乱するのは人だけ。そのような自然観も今に再構築する必要がある。


▲江戸時代に大根を持って、現物交換で下肥を集める農民(『金草鞋』より)
「次の社会」を考える時に「農」は中心課題への位置付けが必要
 本来社会も生産のあり方も多様であるのが自然。地域特性とそれにあった作物の生産、その生産物を利用する仕方も当然多様なものになってあたり前で、そこに土地毎に固有の文化が生まれた。資本主義の仕組みはそういう固有の営みを破壊し画一化していく、面白くないつまらない仕組みである。同時に無理があり、無駄なエネルギーを必然的に消費する仕組みである。なぜ、こんな仕組みが「魅力あるもの」になってきたのか?
 食べる為の農業から「金」を稼ぐ為の農業への転換。その度合いが増すごとに生産物への関り方が変わっていく。同時に生産に関る人の関係、地域の関係も連れて変化してきた。
 その他、重複しますが、
 (1)資本主義の人と自然に対する破滅に向かう運動の問題は一九世紀中頃には充分に意識されていた。資本主義は本質的に収奪型の社会の仕組みである。自然資源の喪失、農業生産の地力の低下。都市と農村の分離対立、資本主義の進んだイギリスの都市ロンドンでは人の排泄物は土地に返されることなく、無駄な費用をかけてテームズ川に捨てられ流された(注・日本では江戸時代。ロンドンと江戸の比較は示唆的である。当時のヨーロッパの都市は人の糞尿の始末は一大事であった。香水は臭さをごまかす為に生まれたという話!今は香水の変わりに下水道システムということになる)。
 (2)土地は誰のものでもない。ただ占有するだけだ。占有(日本では先祖代々の預り物という言い方があった。)した土地は豊にして次の世代に引き継いで行くべきもの。こんな当たり前の話は今では「非常識」となった。資本主義が産み出す社会意識がいかに歪んだものかということの証明。「社会常識」は基本的な今の社会の仕組みを維持する為に作られた「神話」である。
 (3)「物質代謝」という概念。マルクスの思想、資本主義分析批判の大事な概念であったと言われる。人と自然の代謝関係が資本主義の進展とともに失われたことの意味を今一度しっかりと捉え返す必要性がある。
 (4)これからの時代は資本主義に替わる社会の仕組みを模索する動きが強くなってくる。そこでは「農の営み」を社会の中でどのように位置付けるかが大きな課題となる。